テーマ : 連載小説 頼朝

第一章 龍の棲む国㊽【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 相撲を通じて、なるべく多くの男たちに、頼朝[よりとも]という男を好きになってもらわねばならぬ。相撲が強ければ良かったが、あいにく力自慢の部類ではない。
 弓が人より優れていることは、これまで数回催された巻狩[まきがり]で知っている者も多い。知らぬ者も、明日からの狩りで知るだろう。
(必ずしも相撲で勝たねばならぬわけでもなかろう。勝つにしろ負けるにしろ、勝ち方、負け方が肝要だ)
 諸肌を脱いで股立ちを取り、
 「さあ、来い」
 頼朝は大声を上げた。土着の武士はみな声が大きいから、彼らに合わせたのだ。掛け声と同時に、表情もパッと明るく楽し気な風に変える。
 「おっ、なんだ。そこもともかなり相撲が好きな性質[たち]だな。吾[われ]も大好きでな」
 天野遠景[とおかげ]も諸肌脱ぎになりながら、懐っこい犬のような顔で笑う。
 「ならば時折、蛭島へ[ひるがしま]相撲を取りに来たらどうだ」
 頼朝の誘いに、
 「良いのか。ぜひ参ろう」
 即座に答えた。互いに低く腰を落とし、目と目を合わせる。それが合図だ。次の瞬間、どちらの足も地を蹴[け]った。
 音を立てて激しくぶつかり合い、がしっと組み合う。
 「いいぞ」「ゆけ」「気張れ」
 ぐるりと輪になって二人を囲む者たちから、声が飛ぶ。
 頼朝はこのとき一切、策は弄[ろう]さず、力に任せた。遠景は相撲に誘ってきたとき、「力はどうだ」と口にした。知りたいのは頼朝の力なのだから、見たいものを見せてやろうと腹を括[くく]ったのだ。
 顔を真っ赤にさせながら、全力で押す。
 「うおりゃァ」
 咆哮[ほうこう]する。常は低めの声も、ひとたび腹の底から発すれば、よく通る。持って生まれたものではない。戦場に響き渡る美声は、良い将の条件と心得、日頃から鍛えてある。
 「どりゃあ」
 遠景も吠[ほ]える。だが、頼朝のように通る声ではない。これだけで両者に、どこか器の違いが出る。もちろん、単なる印象に過ぎないが、この「印象」こそ、人を動かす際には重要なのだ。
 二人は押しつ、押されつ、力を出し合い、わずかの差で頼朝が負けた。
 「いやあ、負けた。天野殿は、強い」
 頼朝はからりと笑ってみせた。
 (秋山香乃・作/山田ケンジ・画)

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