第一章 龍の棲む国㊼【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

料理と酒があらかた運ばれ、酒宴が始まった。
「でも、まあ」と、天野遠景[とおかげ]が手酌で注いだ酒を干す。
「入道が佐殿[すけどの]の首を狙っているにしろ、今日、明日中に片を付けようとはすまい」
と見解を述べた。
頼朝[よりとも]が遠景と親しく話すのは初めてだが、これまでも巻狩[まきがり]で何度か顔を合わせ、挨拶くらいは交わす仲だ。居住地が北条荘に近く、できれば親しく付き合いたいものの、祐親[すけちか]の義兄弟(実際は叔父)・工藤茂光[もちみつ]の娘を娶[めと]っているため、警戒心も湧く。しかし、この話ぶりでは、祐親に傾倒はしていないようだ。
「私も同じ考えだ。巻狩は成功させたかろうゆえ、殺[や]るなら最後の日であろう」
頼朝が首肯すると、遠景はにっと笑った。
「分かっておるではないか。頭は悪くないようだが、力はどうだ。なあ、佐殿。吾[われ]と相撲を取らぬか」
伊豆周辺の男たちが相撲好きなのは、十六年住んで、頼朝も知っている。仲を深めるのに、一番手っ取り早い方法が相撲を取ることだ。気付いてからは、宗時[むねとき]や郎党らと修練を積んできたが、今日まで試す機会はなかった。
「やろう」
頼朝はすぐさま応じ、酒を干した。
遠景が嬉[うれ]しげに立ち上がる。
「おい、佐殿が今から外で相撲を取るぞ」
大音声で告げる。場が、おおっ、とどよめいた。何人かは見物するつもりだろう、同じように立ち上がる。だが、中には苦々しげに眉根を寄せる者もいる。
頼朝は注意深く、人々の反応を窺[うかが]い、脳裏に留めた。これからいざという時に共に起つ味方を募っていくのだ。この巻狩が最大の好機となる。
(共に外に出た連中は、この頼朝に興味があるのだ)
相撲につられただけの者も交ざっていようが、表情や態度で見分けは付くだろう。
逆に舌打ちの一つもして座したまま見送る連中は、籠絡[ろうらく]するのに手間がかかりそうだ。今、目の端が捉えただけでも、大庭景親[おおばかげちか]、俣野景久[またのかげひさ]、海老名季貞[えびなすえさだ]らが苦虫を噛[か]み潰したような顔をしている。
(まずは、親しく語り掛けてきた天野遠景のような男から、引き入れよう。叔父上や三善康信[みよしやすのぶ]殿の知らせでは、院と清盛[きよもり]、両者の間に少しずつひびが入りつつあるという。この東国の男たちまでもが知るような決定的な事件となって表れるには、まだ少し時がかかるはずだ。とはいえ、ぐずぐずしてもおられぬ)
(秋山香乃/山田ケンジ・画)