テーマ : 連載小説 頼朝

第一章 龍の棲む国㊻【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 賄いを運んできた女たちの中に、紅を引いた小袖姿の朝日[あさひ]姫が見える。久しぶりに女の形をした姫の艶やかさに、頼朝[よりとも]は息を呑[の]んだ。
 北条荘を出立する前、朝日姫が提案した〝二人が許婚[いいなずけ]の仲であるという嘘〟は、吐かぬよう言い含めてある。
 「さような小細工をせずとも生きて戻れぬようでは、姫の言う『世を統べること』などできようか。私は、我が力で生還し、我が意思でそなたを奪おう」
 宣言した頼朝に、姫は目を見開き、きらきらとした瞳を向け、
 「では、佐殿[すけどの]を信じて、口は出しませぬ」
 と、うなずいた。
 その迷いのない様に、朝日姫という人間の潔さや敢然とした性質を見出し、
(これは得難い女なのではないか)
 頼朝は確信を持った。
 ただ、その時は自分の横に並び立つ同志を得る予感に喜びを覚えたものの、姫に女を強く意識することはなかった。
 が、今はどうだ……。姫自身から香し[かぐわ]い匂いが立ち上っているようではないか。
(あの女が己のものになるのか)
 感慨に浸る頼朝の横で、
 「北条の大姫は、綺麗[きれい]になったのう」
 女たちを指図し、きびきびと立ち働く朝日姫を眺めながら、天野遠景[とおかげ]が呟いた。
 男たちの前に、次々と膳が並べられていく。やがて頼朝の前にも運ばれた。持ってきたのは朝日姫である。
 「毒など入っておりませんから、安心して召し上がってくださいませ。けれど、私からのものだけに手をお付けください」
囁[ささや]くよう告げると、すぐに自分の仕事に戻っていった。
 隣でふっと遠景が笑った。
 「やはり警戒しておられるか。入道殿(伊東祐親[すけちか])は抜け目ないゆえのう」
 しきりと顎をさすりつつ、視線を出入り口に向ける。
 頼朝が目で追うと、相模[さがみ]土肥郷を本拠とし中村党と呼ばれる武士団を束ねる土肥実平[どひさねひら]と、その嫡男・遠平[とおひら]が入ってくるのが見えた。
 「これは婿殿」
 祐親が大きな声で、二人を招き入れる。遠平は、祐親の娘で八重[やえ]姫の姉の万劫[まんこう]御前を娶[めと]っている。だが、元々万劫御前は、伊東荘を祐親に騙[だま]し取られた工藤祐経[すけつね]の妻だった。それを祐親は、伊東荘が手に入ると娘を離縁させ、相模南西で勢力を振るう土肥家に嫁がせたのだ。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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