第一章 龍の棲む国㊶【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

頼朝[よりとも]とその郎党四人、朝日[あさひ]姫に義時[よしとき]が、車座となって、広くもない板間に雁[がん]首をそろえている。
何を言い出すのだ、この姫は……と頼朝は慌てた。許婚[いいなずけ]などと嘘[うそ]を吐き、後々話が流れたとなれば、双方の名に傷が付く。流人の自分はともかく、すでに婚期が遅れ気味の朝日姫の人生を、揺るがすことになりかねない。
「あ、姉上……」
弟の義時も驚いて、身を乗り出してきたが、姫のひと睨[にら]みで黙してしまった。
藤九郎盛長[もりなが]はその点には一切触れず、
「手出しできぬと言ったところで、事故に見せかけて殺すこともできるのですよ」
と言い返した。狩りの場で射殺せば、獲物と間違えたなど、何とでも言えるだろう。
無論、頼朝の頭にも、その可能性は真っ先に浮かんだ。が、そんな危険な場所だからこそ、恐れを見せずに姿を現す価値があるのだ。危険であればあるほど、平然とやり過ごした時の頼朝の評価は上がる。
何より、天命があれば、人は死なぬものだ。今度の巻狩[まきがり]で、天の意思が知れる。
あれは去年のことだ。伊東荘から走湯権現[そうとうごんげん]へ逃走した際、山道を抜ける頼朝は喉が渇いて仕方がなかった。だが、どこにも水はない。せめて一息つこうと腰を下ろしたとき、太刀の鐺[こじり]が地面に当たった。と思うや、その場所から突如水が湧き出したのだ。
「水をつかさどる龍神の御加護ですな」
感嘆したように、従者の藤原邦通[くにみち]が叫んだ。
「伊豆は龍の棲む国と申します。その龍が、佐殿[すけどの]に生きよと言われているのでしょう。何と縁起の良い水であることか」
藤七資家[すけいえ]も嬉[うれ]しげにうなずいた。
頼朝は水を掌[てのひら]に掬[すく]い、喉を鳴らして飲んだ。渇きが癒えると、
「さすればこの頼朝には、天の授けし使命があるということだ」
自然とそんな言葉が口をついて出た。すると、郎党たちは神々しいものを見るかのように、「我が主よ……」と頼朝を仰いだ。感動に打ち震える男たちを前に、頼朝もまた不思議な興奮に包まれた。
あの日を脳裏に蘇らせつつ、頼朝は「天命」という言葉を噛[か]みしめた。この瞬間、
「佐殿に天命があれば、死にませぬ」
頼朝の心中を見透かすように、朝日姫がきっぱりと口にしたのだ。
頼朝は目をみはり、姫を見た。
「姫は今、天命と言われたか」
「はい」
「この頼朝の天命とは何ぞ」
(秋山香乃・作/山田ケンジ・画)