テーマ : 連載小説 頼朝

第一章 龍の棲む国㉟【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 まさか、とその聞き覚えのある声に頼朝[よりとも]は驚きを隠せない。

 (なぜこんなところにいるのだ。ここは走湯権現[そうとうごんげん]だぞ)
 息をゆっくり呑[の]み込み、頼朝は自分を落ち着かせてから振り返った。
 「佐殿[すけどの]、お久しぶりでございます」
 やはり、そこに立っていたのは北条の姫、朝日[あさひ]姫だ。直垂[ひたたれ]に野袴姿の男の形で、頭頂で高く結い上げた髪を、軽快に風に靡[なび]かせている。朝日姫は、相好をくしゃりと崩した。姫自身が光を発しているような明るさだ。
 (こんな感じの人だったろうか)
 ここ数年、ずっと伊東荘にいたから、朝日姫とは五年ぶりの再会だ。最後に見たのは、十四歳のときだったか。
 今は……と頼朝は頭の中で数えてみる。
 (十九歳になったのか……)
 なるほど、少女から女人になったのだから、印象も変わるはずだ。頼朝は目を細めた。
 「姫……これは偶然ですな。参拝に来られたのか」
 「偶然のはずもございませぬ。兄の名代で佐殿をお迎えに参ったのです」
 「私を」
 「大権現様にお参りに行くと知らせがあったまま、いつまで経っても梨の礫[つぶて]ゆえ。そろそろ戻っていただかねば、平家も不審がるというもの」
 口調も男っぽい。
 男のように活躍する女は、地方の豪族には珍しくもない。領土を継ぐ者もいたし、なんなら大番役までこなす者もいる。むろん戦場を駆けまわる女を見ても、誰も驚かない。
 だが、頼朝の知る朝日姫は、活発だったものの、娘らしい少女だった。可愛[かわい]い色の小袖を着た日は、はにかんでいつもよりしとやかに振る舞っていた。
 「そのお姿も、お似合いですね」
 頼朝が褒めると、
 「嬉[うれ]しい。四郎には、山猿と言われますけれど」
 六歳年下の弟、四郎義時[よしとき]の名を口にし、朝日姫は肩をすくめた。
 「これはとんだお美しい山猿もいたものだ」
 「山猿姫と呼んでもいいですよ。けれど、冗談はここまでにして、さあ、私と一緒に北条荘に戻りましょう。ここは蚊が多くて堪[たま]りませぬ」
 木漏れ日の乱舞の中、からりと笑う朝日姫は、実際は眩[まぶ]しいばかりの美しさだったが、頼朝はそれ以上は触れず、
 「いつでも参りましょう」
 と、うなずいた。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)

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