テーマ : 連載小説 頼朝

第一章 龍の棲む国⑳【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

 図らずも都風に振る舞って、八重[やえ]姫に恥をかかせてしまったことを、頼朝[よりとも]は悔いた。
 だが、急に口を閉ざせば、「何を言われたのか分からなかったのだな」という事実を突きつけてしまうことになる。
 「姫は、不老不死をお望みか」
 口にした「時じくの香[かぐ]の木の実」が何であるのか分かるように、慎重に会話を進める。
 いいえ、と八重姫の薄紅色の唇が、すぐさま否定した。その柔らかそうな唇が、ふいに頼朝の眼前に近づいたかと思うと、男のかさついた唇を、潤いと共に包み込んだ。
(えっ?)
 頼朝の体が硬直した。十三歳で平治の乱に巻き込まれ、十四歳で配流[はいる]されたのだ。すでに二十六歳のいい大人になったとはいえ、恋などしたことがなかったし、ましてや女と付き合ったことも一度もない。
 唇が合わさるだけの口づけさえ、初めてだった。
 接吻[せっぷん]をされたのだと気付いた時には、八重姫の体は手を伸ばしても届かぬ位置まで下がっている。
 「何を……」
 頼朝は唇に手を当てた。
―――今、姫は何をしたのです。これはいったいどういう意味なのだ……―――
 この後、何をしていいのか、頼朝には分からない。今度はこちらがまごつく番だった。
 恥ずかしい行いをしたのは八重姫の方なのに、頼朝の方が生娘[きむすめ]のように顔を熱くして呆然[ぼうぜん]となっている。
 八重姫はまた一歩、後ろに下がった。
 「私、永遠なんて望んでおりませぬ。明日の事よりもむしろ、今、この一瞬に生きとうございますもの」
 何を言っているのかよく分からなかったが、八重姫がまぶしく見えて、頼朝の鼓動が跳ね上がった。
 このとき、「姫様」と呼ぶ声がまた聞こえた。
 「はあい、今、行きます」
 八重姫は、今度は呼ぶ女の声に応える。そのまま振り返らずに境内へ消えていった。
 館に戻った頼朝を出迎えた藤九郎盛長[もりなが]が、
 「どうかされましたか、赤いですよ、少し」
 訝しげに頼朝の顔をのぞき込む。
 頼朝はどきりとして、唇に手を当てた。
 盛長が首を傾げる。
 「顔でござる。顔が赤いと申したのです。なにゆえ、唇なぞ……」
 「いや……いいや」
 (秋山香乃/山田ケンジ・画) 

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