第1章 龍の棲む国⑦【頼朝 陰の如く、雷霆の如し】

頼朝[よりとも]は、考える。なぜ、父の義朝[よしとも]は、政変に加担してしまったのか。
確かに義朝は信西[しんぜい]を憎んでいた。信西のせいで、保元の乱の際、実の父の首を自らの手で斬らねばならなかった。同じように兄弟の首も斬った。だが、だからこそ、政変に負ければどうなるか身に染みていたはずだ。
(恨みだけで決起したのではない。他に理由があるはずだ)
義朝は、政変の首謀者である藤原信頼[のぶより]と親しかった。さらに、標的となった信西からは、平家とは逆に冷遇されていた。
このまま信西の世が続けば、平家と源氏の力に、雲泥の差が生じるのは目に見えていた。
(指をくわえて見過ごすわけにはいかなかったということか。父上は、大きな賭けに出て……負けたのだ)
しかし―――。頼朝からすれば、あの日まで平穏だった人生が一変した。
(あの政変さえなかったら)
ともすれば胸奥から這[は]い上がってくる思いに、父を非難しているようで、頼朝は苦しかった。
熊野詣[くまのもうで]の旅先で乱の知らせを聞いた清盛[きよもり]は、都に取って返し、八日後には六波羅[ろくはら]の館に入った。
清盛が戻ると、二条[にじょう]天皇の側近たちは、今度は後白河院[ごしらかわいん]側の側近・信頼を裏切り、六波羅へ加担した。信頼は、二条天皇と後白河院を手中に収めるため、二人を御所内に幽閉したが、天皇の側近たちは二条天皇を脱出させ、清盛のいる六波羅へと送り届けた。
二条天皇の脱出を知った後白河院は、自身も変装して御所を抜け、仁和寺[にんなじ]を頼った。
帝を保護した清盛は、信頼・義朝追討の命を、二条天皇の詔[みことのり]として下した。
この時を境に、清盛側が官軍、信頼側が義朝と共に賊軍となった。むろん、頼朝自身も勅宣[ちょくせん]と同時に罪人と呼ばれたのだ。
続々と清盛の下には兵が馳[は]せ参じたが、朝敵・義朝に加担する者はほとんどいない。裏切り者も出て、戦う前から勝敗は明らかだった。このどうしようもない戦いが、頼朝の初陣となった。
頼朝はこのとき初めて、東国から駆け付けた源義平[よしひら]―――その勇ましさから悪源太[あくげんた]と呼ばれる十九歳の長兄に会った。十六歳の次兄朝長[ともなが]は、この年二月に従五位下中宮少進[じゅごいのげちゅうぐうしょうしん]に補されていたから、これまでも何度か会ったことがある。が、親しく交わったことはない。
「これは、お前が身に着けろ」
義朝は、先祖八幡太郎由来の鎧[よろい]、源太産衣[げんたのうぶぎぬ]と、髭切[ひげきり]の太刀を、兄たちの前で頼朝へ渡した。源太産衣は、代々源氏の嫡男が初陣のときに身にまとう鎧である。
(秋山香乃/山田ケンジ・画)