学校生活、難局共に 父「恵まれた12年間」 広がる可能性に心打たれ【障害者と生きる 第2章 成長㊥】

 渡辺裕之さん(58)=静岡市清水区=の息子、隼(しゅん)さん(24)が通った中央特別支援学校(静岡市葵区)でも修学旅行がある。喜ばしい半面、長時間の外出や宿泊には想定外の事態がよく起き、一筋縄ではいかなかった。

中央特別支援学校小学部の卒業式に出る渡辺裕之さんと隼さん(当時12歳)=2010年3月(裕之さん提供)
中央特別支援学校小学部の卒業式に出る渡辺裕之さんと隼さん(当時12歳)=2010年3月(裕之さん提供)

 必ず悩まされたのが食事の問題。細かく刻み、スープやお湯をかけて軟らかくしたものしか、隼さんは食べることができない。しかし、作った経験のない他人に対応をお願いするのは困難を極めた。
 小学6年生になった2009年秋。修学旅行先のレストランで出された料理は、細かくされてはいたが、まだ隼さんが食べられる状態ではなかった。同行していた裕之さんがキッチンばさみなどを使って席で刻み直した。
 「できれば隼をいろいろな場所に連れて行ってあげたい。でも、食事を準備してくれるレストランやホテルが見つかりません」
 隼さんはトイレの意思表示がなく、おむつをはくが、外出先では取り換える場所も見当たらない。ベビーベッドが備え付けられたトイレは多いものの、隼さんは中学時で身長120センチ、体重25キロほどあり、使えない。
 「ユニバーサルデザインも中学生がおむつをしていることはさすがに想定してない」。外出先ではトイレの度に車に戻らなければならない。結果、裕之さんたちは一度も家族旅行に行けなかった。
 何度も難局に直面しながら過ぎた隼さんの中央特別支援学校での学校生活だったが、裕之さんは「明るい先生やパワフルな保護者の方々との出会い、楽しい思い出に恵まれた忘れられない12年間だった」と振り返る。
 「1人でスプーンを持って口に運んだり、足に装具をつけて立ったりといろいろなことができるようになり、隼の可能性を感じることができました」
 学校では運動会もあった。裕之さんは隼さんら子どもたちの姿に何度も心を打たれ、感極まった。「支援器具を使うなどして、必死に前に進もうとするんですよ。家族の声援に応えるように。感動するのは親だからなのかな。これは多くの人に見てもらいたいです」
 16年3月9日。隼さんは12年過ごした中央特別支援学校を無事卒業した。一方、同じ病と闘う妻美保さん(仮名)の体調はこの頃、急速に悪化していた。

 <メモ>ユニバーサルデザイン 障害の有無、年齢、性別、人種にかかわらず、最初から多様な人が利用できるように設計すること。障害者や高齢者などの生活弱者に配慮し、後から障壁に対処するバリアフリーとは異なる。

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