伊豆山、前へ 熱海・大規模土石流から半年【ひと/写真特集】
26人が死亡し、1人が行方不明になっている熱海市伊豆山の大規模土石流は3日、発生から半年を迎える。変わり果てたふるさとを再生したい、深い傷を負った被災者を支えたい―。遠く、険しい復興への道のりを手探りで歩き出した人たちの思いを集めた。
伊豆山小 相次ぐ励ましに感謝

被災現場に最も近い学校、伊豆山小には土石流の発生以来、県内外から約40件の励ましの手紙や千羽鶴などの物品が届いた。「皆さんからの支援を無駄にしない」。児童は感謝を胸に新しい1年のスタートを切る。
7月3日の土曜日、国原尋美校長(57)は自宅で信じ難いニュースに接した。「この映像の先に子どもの家がある」。すぐさま教頭に連絡を取り、教職員総出で安否確認に走った。午後8時ごろ、全児童54人の無事が判明。ただ、中には家族が命を失ったり、家屋を流されたりした子がいた。
通学路は封鎖され、運動場は自衛隊や警察の車両が埋め尽くした。発生から9日後、児童は図書館と自動車学校の2カ所で午前のみの授業を再開。夏休み明けは約7キロ離れた泉小で2学期を始めた。2学年で一つの教室を使う日々。ある女児は当時の心境を振り返り、「こんな感じ」と両肩を少し上げて背筋を張ってみせた。「泉小に迷惑をかけないようにって」
児童の様子が明らかに変わったのは11月。約4カ月ぶりに伊豆山小で授業を再開してからだった。笑顔が増え、あいさつの声は一段と大きくなった。その変化はスクールカウンセラーも驚くほど。地域住民は「登下校を見るだけで涙が出る」と喜んだ。
慣れ親しんだ学びやに帰り、少しずつ日常を取り戻してきた子どもたち。国原校長は「これからは困っている人を支援したい、何かできることはないかと考えられる人になってほしい」と願う。
被災者と悩み、考える

熱海市総合福祉センターに拠点を置く伊豆山ささえ逢[あ]いセンター。応急仮設住宅の約120世帯を対象に、心のケアや孤立防止に取り組む。前川美奈子副センター長(57)は「各世帯にそれぞれの悲しみがある。一人一人に寄り添いたい」と力を込める。
前川さんは保健師として熱海市に勤める。土石流が起きた7月3日は被災者の健康管理に奔走し、夜は庁舎で雑魚寝した。市長寿支援室で高齢者の介護予防にあたりながら、ささえ逢いセンターの運営にも携わる。
ささえ逢いセンターでは、被災者と生活支援相談員の面談の日程調整が主な業務だが、家族を亡くして特に配慮の必要な世帯への訪問には同行する。「雨の音を聞くと、子どもが泣きだす」。母親の悩みを傾聴し、心の傷の深さを知った。
遠くない将来、被災者は伊豆山に戻るか、離れるかの決断を迫られる時が来る。「一緒に悩み、考える立場でありたい」と前川さん。息の長い支援は始まったばかりだ。
常連客に無償で散髪

逢初橋近くで自宅兼理容店を構えていた竹沢敏文さん(74)は、元の場所から150メートルほど離れた建物を知人から借りて暮らす。昔は畳店だった建物の1階の土間には一対の椅子と鏡。段ボールでこしらえた手作りの台に、はさみやカミソリ、くしといった商売道具が並ぶ。竹沢さんはここで、ボランティアで散髪している。
竹沢さんが営んできた老舗理容店は、土石流で一部が損壊したものの内装やインフラは無事だった。「これならすぐに営業を再開できそうだ」と一時は考えた。だが、規制区域に指定されたことで、長年暮らし、営業を続けた場所からの移動を余儀なくされた。
現在は付き合いのあった常連客のみを対象に、無償で髪を切っている。いずれ元の場所に戻るつもりのため、移転先で開業申請を出す考えはない。「気にしているのは、いつ戻れるかということだけ。再開の日に備え、常連客との関係だけはつないでおきたい」と先を見据える。
「復興支援移動カフェ」自分らしく集う場に

10月から毎月2回、被災現場近くで「復興支援移動カフェ」を開く佐竹純一さん(39)は飲み物を片手に世間話をする住民の姿をうれしそうに見つめる。
場所は伊豆山の介護タクシー会社「伊豆おはな」(河瀬豊社長)の車庫。被災後は支援物資の集積所になり、絶えず住民が足を運んでは近況を語り合っていた。8月末で集積所は閉鎖したが、引き続き住民が集うきっかけになればと、佐竹さんがかねて知り合いの河瀬社長に移動カフェの開催を提案した。
コーヒーや熱海産の果物のジュースなどを振る舞う。「土石流以来会えていなかった知人に会えました」。12月上旬に初めて訪れた太田康和さん(82)は、思いがけない再会に声を弾ませた。
カフェの名前「ラシク」には「誰もが自分らしくいられる場所に」との願いが込められている。伊豆山を離れて暮らす被災者にも立ち寄ってもらおうと、1月は警戒区域内への一時立ち入りが行われる16日に開催する。「カフェは脇役。皆さんが少しでも自分らしく会話できる場になれば」。佐竹さんの願いだ。
九死に一生 語り継ぐ

熱海市消防団第4分団の一木航太郎さん(22)はあの日、避難誘導で出動している最中、土石流が足元をかすめた。わずか50センチ。九死に一生を得た。
被災後は団員としての活動に身をささげた。仕事の前後に、救援車両を誘導。9月末まで毎晩、見回りで被災地を歩いた。
後輩と友人の家族が土石流の犠牲になった。夜、目を閉じるとあの音と光景が浮かぶ。怖くて、悔しくて、眠れなかった。「本当はがれきに入り、助けたかった。でも当時は自分にできることだけを考えるしかなかった」
徐々に団の活動は日常に戻りつつある。10月中旬、消防団の詰め所を移転した。入り口に、泥に埋まった元の詰め所から取り出した「第四分団」の看板を掲げた。
ふるさと仲道地区は職人のまちだ。団のOBの元で板金職人として腕を磨く日々。「30歳までに独り立ちしたい。そして、生き残った人間としてこの災害を語り継ぎたい」。一木さんは、これからも伊豆山で生きていく。
支え合い 点から線へ

「想像以上に心の傷は深い」。伊豆山のボランティア団体「テンカラセン」代表の高橋一美さん(45)は、被災者の今をそう実感する。被災者が本音を語れるようにと開催した「今を話そう会」で、涙を流す参加者の姿に自身も泣いた。
本業の弁当店に土砂が流入するなど自らも被災したが、配達を通した住民情報を生かして困り事を聞いて回り、SNSから情報発信にも努めた。
「できることを」と発災直後から続けた地道な個人への支援は、次第に人と人とを結んだ。高橋さんの行動に共鳴し、当初3人だった団体メンバーも17人にまで増えた。
被災者や支援者一人一人を「点から線」にし、支え合いの輪を広げたい-。団体名に込めた思いは少しずつ現実になっている。「今必要なのは寄り添い合うこと。その場をつくりたい。『孤独じゃない』と感じてもらえたら」。高橋さんは今日も前を向く。生まれ育った伊豆山のために。
心を結ぶ地蔵堂修復

「春には修復が終わるかな」。熱海市内で森林保全活動に取り組むNPO法人「熱海キコリーズ」の能勢友歌さん(40)は、いとおしそうにお堂を見上げた。
土石流で半壊した浜地区の地蔵堂。北条政子が娘の延命を願って建立したと伝わるそのお堂は、地域の信仰の中心だった。
発生2カ月後から地蔵堂の修復に取り掛かった。メンバーの半数は市外在住者。作業は週末に限られた。当初は自分たちを不審がる住民の目を感じた。それがつらかった。
10月のある日。作業するメンバーに手を合わせ、涙する高齢女性の姿があった。「ここでまた集まることができます。ありがとう」。小さな言葉が能勢さんの耳に届いた。浜地区の人と気持ちがつながってきた-。そう実感できた瞬間だった。“奇跡のお堂”はいま、地域内外の人々の心を結んでいる。
残る捜索 一刻も早く

警察は発生から12月下旬までに延べ約1万5千人を被災者の救助活動に投入し、県警、関東管区機動隊が行方不明となっている太田和子さんの捜索を続けている。県警機動隊の佐藤邦洋小隊長(41)は「家族の下に引き渡したい一心」と全隊員の思いを代弁する。
土砂災害の救助活動は2018年の西日本豪雨で経験があった。伊豆山には発生3日後に入り、経験が参考にならないと直感した。急勾配、足の自由を奪う粘土質の泥、押しつぶされた家屋―。日々身の危険を感じながらの捜索だったが、「自由に使ってください」とタオルやホースを差し出す地域住民の励ましに背中を押された。
活動の長期化にも使命感は変わらない。「見つけるまでやり遂げる」と力を込める。
写真特集/熱海土石流半年 現状は(撮影はいずれも2021年)
熱海市伊豆山の土石流現場は土砂の撤去が進み、主要道路は自動車や歩行者が行き交う発生前の光景に戻りつつある。一方で土石流の起点付近は依然手つかずの状態で、警戒区域の解除の見通しは立っていない。発生当初から伊豆山の様子はどう変わったか。写真で比較する。
伊豆山全域 12月14日(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)

①起点付近 7月5日/12月14日

②市道伊豆山神社線 7月3日/12月11日

③国道135号・逢初(あいぞめ)橋付近 7月3日/12月11日

④国道135号・伊豆山神社参道付近 7月3日/12月11日

⑤伊豆山港近くの走り湯橋 7月8日/12月17日

私たちも応援しています
■力士 熱海富士さん(19)(本名・武井朔太郎さん)
土石流災害が発生したのは7月場所の初日前日。不安で両親や現場近くに住む知人にすぐに電話しました。稽古場のみんなも一緒に心配してくれました。熱海出身の力士も、しこ名に「熱海」が入っているのも自分だけです。被災後は地元の方から「勝ってくれて、熱海が盛り上がっているよ」と言っていただけてうれしかったです。(西幕下筆頭で迎える)来場所は関取を目指します。コロナ禍でなかなか熱海に戻れずにいますが、関取になって凱旋[がいせん]し、地元を盛り上げたいです。
■プロゴルファー 渡辺彩香さん(28) 熱海市出身
土石流の発生時は大会中でした。プレーを終えた後に周りの人から聞き、急いで映像を見て、本当にショックを受けました。私はプロスポーツ選手として、被災した方々が少しでも前向きな気持ちになってもらえたら、という思いでその後の試合に臨んできました。今だけでなく、皆さんが元の生活に戻れるよう継続的に支援したいと思います。地元の方々に楽しんでもらえるようなことも企画しながら、皆さんと共にこれからも歩み、熱海の力になっていきたいです。
■歌手 橋幸夫さん(78) 熱海市在住
熱海に住んで4年になります。長い間東京で暮らしましたが、目の前に海が広がり、周りの木々や生き物に恵まれた熱海が好きです。しかし一瞬で、伊豆山の見慣れた風景は奪われました。土石流がニュースで流れ、市外の友人から心配する電話が何件もありました。それぐらい全国の人にとっても衝撃が大きかったんだと思います。熱海には今後もずっと暮らすつもりです。新しいふるさとにしたいと思っています。熱海市民として、今も苦しんでいる被災者や家族に寄り添っていきたいと思います。