視標「AI どう向き合う」 問われる人間の器と力量 ひらめき誘う経験知 理化学研究所客員主管研究員 鈴木晶子
生成人工知能(AI)の登場で世界が大きく変化している。人類にとって救世主になるのか、支配者になるのか。私たちがどう向き合うべきなのか、国内外の気鋭の3人に語ってもらった。

◇ ◇
AIの出現はAIの発展史上、一つの重要な進化だ。従来の分類機能に加え新たなテキストや音声、画像を生み出し、大量のデータから自ら学習する機能を備えている。
プログラミングを学ばずとも、話し言葉で指示を出せば活用できるとあって使い勝手がよい。大型言語生成モデルとしてテキストの生成だけでなく企画や交渉、顧客対応などさまざまな仕事をこなす汎用AIの実現に大きく道を開いたといえる。
生成AIはあらゆるデータを学習し、機能を向上させていく。与えるデータの内容、範囲次第でAIは人類を一定方向へと誘導しかねない。民衆を扇動するための価値観の刷り込みや潜在意識に作用する宣伝広告の恐ろしさは既に1970年代から問題視されてきた。
SNSによるフェイクニュースの拡散などは、その進化形とみることもできる。他方AIの精度が高まると、結果をうのみにしてしまう、あるいはAIに仕事を丸投げしてしまうなど、人間側の気の緩みがAIの暴走に拍車をかける危険もある。
生身の身体を使い、苦労し積み重ねてきた経験に潜む身体知や暗黙知は、紙の上だけの作業では得られない、仕事人の宝だ。いくらデータをかき集めても得られるものではない。繰り返し考え、体感を通して会得したことが、実は事の明暗を決めている。蓄積された経験知はひらめきの源泉だ。
AIがはじき出す一見滑らかな言葉に惑わされず、AIのできること、できないことを見極める必要がある。データの出所や内容の是非の確認作業も怠ってはならない。これまで多くの人の手による編集点検で活字として蓄積されてきた情報と、異なるものも多いことを肝に銘じておくべきだ。
技術は用いる人間の思惑次第で良きものにもあしきものにもなり得る。自動運転システムは戦車にも導入できるし、遺伝子解析技術は生物兵器への転用も可能だ。知識や技術を手にした人間の側に、ふさわしい器と力量がなければ己の身を滅ぼすことにもなりかねない。
誕生は、死に向かう旅路の始まりであり、会うは別れの始まりだ。保持していたはずの何ものかと引き換えに私たちは新たな技能や技術を獲得する。技術革新とともに失われていくもの、忘れられていく知恵や能力に目を向ける余裕が必要だ。
技術革新を量的な面にだけ光を当てていたのでは、変化は連続したものに見える。だが質的な面に光を当てると、多くの断層があることが分かる。この非連続性の最たるものは知性の変容であり知性の力への感度である。
より多く、より速く、を目指す情報戦やデータ戦に明け暮れる中、ふに落ちるまでひたすら温め、かみ砕くような思考へのこだわりは薄れてしまった。パンデミックの中、死者の数や命の重みをカウントする計算知性の冷たさに次第に慣れてしまうのが人間だ。AIは良くも悪くも人間や社会を映し出す鏡といえる。
× ×
すずき・しょうこ 1957年横浜市生まれ。上智大大学院修了。文学博士。科学哲学。著書に「智恵なすわざの再生へ」。京都大名誉教授。