検証・日銀総裁候補に植田氏提示 首相、貫いた保秘 「市場と対話できる」白羽【表層深層】
岸田文雄首相は4月に任期満了を迎える黒田東彦日銀総裁の後任として、元日銀審議委員の経済学者植田和男氏に白羽の矢を立てた。安倍晋三元首相が敷いたアベノミクス路線の次の政策を展望する日銀人事。ひそかに人選を進めた首相は、市場や自民安倍派の波風を抑えるため直前まで保秘を貫いた。舞台裏を検証した。
▽下馬評
8日夜、東京・四谷の日本料理店。首相は自民党の麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長と向き合った。
「あと2日待ってもらえませんか。国際金融市場と対話できる人物を見つけましたから」
かん酒の杯を気分良く重ねた首相。3時間半の会食で、政権を中枢で支える2人にさえ「意中の人」を明かさなかった。
10日金曜の午後3時に東京の金融市場が閉まるのを待ち、首相は要路へ根回しを始めた。「植田和男氏に決めました」。電話を受けた自民幹部は頭になかった候補名に「取りあえず分かりました」と言うほかなかった。
「まず人は代わる」。首相は先月22日放送のBS番組で黒田氏交代を明言した。下馬評では黒田氏側近とされる雨宮正佳副総裁、黒田氏の任期前半を補佐した中曽宏前副総裁が有力とみられた。今月6日「雨宮氏に就任打診」と一部報道が出ると、首相は「観測気球だろう」といなす。
政府高官によると、黒田体制を支えた雨宮氏は自身の就任を昨年から否定。打診の代わりに、雨宮氏から「国際金融に精通した学者がよいのでは」と推薦があったという。雨宮氏は昨年暮れ、周辺との会話で総裁候補に「例えば植田氏とか」と挙げていた。海外では、米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン前議長ら経済学者がトップを務める例は少なくない。
▽資質
昨年夏の参院選が終わり、首相は水面下の作業を開始した。財務省出身の木原誠二官房副長官、経済産業省出身の嶋田隆首相秘書官ら限られたメンバーで候補者を洗い出す。政権幹部、日銀や財務省OBから意見が寄せられ「リストは一時20人」(政府筋)に上った。
首相は植田氏ら複数候補と目立たぬよう直接会い、年明けには数人に絞る。意識したのは「継続性と刷新感、対話能力」。アベノミクス「異次元の金融緩和」をすぐ転換するわけではないが、いずれ「出口」を探る役割が期待される。「黒田氏と同じ路線ながら柔軟に対応できる人を探し、ふるいにかけた」(側近)
目に留まったのが植田氏だった。東大では、アベノミクスの理論構築に貢献した浜田宏一元内閣官房参与らに教えを受ける。米マサチューセッツ工科大で元FRB副議長スタンレー・フィッシャー氏に師事。FRBのバーナンキ元議長、欧州中央銀行(ECB)のドラギ前総裁らと同時期に学んだ。日銀審議委員だった2000年8月の金融政策決定会合では、ゼロ金利政策解除に反対票を投じている。
先月末、首相は植田氏を総裁候補に決めた。「主要国中央銀行トップとの緊密な連携、内外の市場関係者に対する質の高い発信力と受信力」という資質にぴたりとはまった。麻生氏らが求めた、国際的な金融政策をリードする「金融マフィア」に加われると判断した。
今月10日、首相が根回しを始めて程なく報じられた植田氏は記者団に「当面は金融緩和を続ける必要がある」と言及。報道後、初の本格取引となった週明け13日の東京市場は外国為替、株式とも値動きは小幅にとどまり、官邸幹部は「混乱は起きなかった」と安堵した。
▽ハードル
もう一つ、動向を気にしたのが安倍派だ。人選の過程で同派から複数の候補名だけでなく「金融緩和に積極的なリフレ派を一掃するなら政局になる」との警告が伝えられた。アベノミクス継続か否かに注目が集まった。
官邸幹部は根回し前、党内に探りを入れる。ふたを開ければ緩和派の総裁候補。安倍派は「暴れるほどではない」(中堅)と収まった。首相は「いろいろ考えたから」と胸をなで下ろした。
副総裁候補には、麻生氏らが総裁候補に推した氷見野良三前金融庁長官と、内部昇格で内田真一日銀理事を選び、植田氏を支える体制を示した。
首相周辺は、次のハードルを政府と日銀の共同声明改定だと語る。政権を支える重鎮は予告した。「金融緩和の出口を少しずつ探り、安倍派とも折り合いをつけなきゃならない。経済と政局はこれからが大変だ」