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核心評論「外交文書と敵基地攻撃能力」 問われる畏怖と葛藤 掃海艇派遣、政官の軌跡

 岸田文雄首相が反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有と防衛費の飛躍的増額を決めた今年末、31年前に自衛隊を初めて海外派遣した海部俊樹政権の外交文書が開示された。
 海部内閣は1991年4月、湾岸戦争の停戦を受け、米国が求めるペルシャ湾への掃海艇派遣を決断した。浮かび上がるのは、未曽有の事態に戸惑い思い悩む「政」の葛藤であり、平和憲法と専守防衛の国是に依拠しながら、国益と道理を模索する「官」の姿だ。
 「掃海艇の派遣ができれば対米関係上は『百点満点の回答』で(中略)外務省内にも個人的意見として支持する声が相当あったようだ。しかしながら憲法、自衛隊法上の問題を乗り越えてこの選択肢を追求することは、国内政治上の制約に照らして非現実的であるのみならず、日米安保体制を含む長期的なわが国の外交、安全保障政策がいかにあるべきかとの見地から考えると、外務省がペルシャ湾への自衛隊の派遣をまじめになって推進すべきでないと考えた」
 湾岸戦争3年前の87年10月に作成された栗山尚一外務審議官のメモが、今回の開示文書に含まれていた。当時はイラン・イラク戦争が続いており、ペルシャ湾の機雷を除去したい米国は日本に掃海艇派遣を打診するが、栗山氏が平和憲法にも立脚しながら、反対論を唱えていたことが分かる。
 その後90年夏にイラクがクウェートを侵攻すると、米国は改めて掃海艇派遣を要請。しかし戦時中の空襲体験を自身の政治理念の背骨とする海部首相は終始慎重だった。
 91年1月、米軍主導でクウェート解放を目指した湾岸戦争が始まるが、憲法の制約で日本は人的貢献ができなかった。当時の官房副長官、大島理森前衆院議長は「特に米国からすさまじい要請があった」と振り返る。
 そうした中、大島氏ら政と、この時、外務事務次官となっていた栗山氏ら官が見据えていたのは「停戦後」だった。
 2月末に戦闘が終息し、駐米大使から派遣を促す公電が届くと、外務省は憲法や自衛隊との整合性や、先の大戦で甚大な被害を強いた近隣諸国への対応策を検討。3月26日に栗山氏が内閣法制局長官と協議し、「わが国船舶の航行の安全を図る」ことを主眼に派遣の段取りが固まっていった。
 生前、栗山氏はこんな文章を残している。「経済大国の軍事大国化が歴史の必然であるとすれば、日本の生き方はこの歴史に対する有意義な挑戦である」
 時は流れ、現政権下で「日本の生き方」を左右しかねない国策の大転換が進む。既に政界を引退した大島氏は「文民統制の覚悟と国民の共通認識」こそが肝要だとし、軍事に絡む権力行使への畏怖の念と葛藤を忘れてはならないと説く。
 今から30余年前に政と官が歩んだ苦悩の軌跡。岸田首相は先人の言葉と記憶をどう継承し、己の哲学と思想を紡ぐつもりなのか。(共同通信編集委員 太田昌克)

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