戦時接収「無」から再出発 歴史150年、浜松の製油所

 150年近くにわたり、食用油脂の製造販売を続ける製油所が浜松市西区湖東町にある。村松製油所。太平洋戦争中は国に搾油機を接収されるなど、戦中戦後の幾多の苦難を乗り越えてきた。レトロ感あふれる昭和初期のねじ式圧搾機「連続搾油機」を稼働させ、今も日常生活に欠かせない油を提供する。

昭和20年代から使い続ける搾油用の機械。稼働中は社員が常駐し、油の詰まりを防ぐ作業などが欠かせない=浜松市西区湖東町の村松製油所
昭和20年代から使い続ける搾油用の機械。稼働中は社員が常駐し、油の詰まりを防ぐ作業などが欠かせない=浜松市西区湖東町の村松製油所
原料を手に、工場見学者にごま油の製造工程を解説する木下伸弥さん(右から2人目)=7月中旬
原料を手に、工場見学者にごま油の製造工程を解説する木下伸弥さん(右から2人目)=7月中旬
昭和20年代から使い続ける搾油用の機械。稼働中は社員が常駐し、油の詰まりを防ぐ作業などが欠かせない=浜松市西区湖東町の村松製油所
原料を手に、工場見学者にごま油の製造工程を解説する木下伸弥さん(右から2人目)=7月中旬

 「戦後はほぼ無の状態。そこから、祖父や父が借金をして機材を買い集め、何とか再開にこぎ着けた」
 数年前まで専務だった村松久雄さん(85)が10歳で迎えた終戦時の記憶をたどる。1950年に父太郎さんらが九州で手に入れた搾油機は、70年を経た今も会社を支える。
 戦中は国策として鉄が必要で、搾油機などは全て接収された。工場近くの航空自衛隊浜松基地は当時、旧日本陸軍の飛行学校。米軍の空襲を受けた際は工場近くに不発弾が落ちた。「防空壕(ごう)に隠れるのが日課だった。もし爆発していたらここはなかったね」
 創業は1872(明治5)年。同社によると、現存する同規模の製油所は県内唯一だ。戦後の復興とともに油の需要は高まり、農家が持ち寄った菜種を搾油する物々交換は日常風景だった。輸入も手掛けるために組合を立ち上げ、懸命に営業活動を展開。今も従業員約10人で飲食店や総菜屋への卸売りに加えて一般家庭への小売りを続け、1日当たりに作るごま油は約600キロ。菜種油も扱う。
 2年半前、大手自動車メーカースズキの社員から転身した木下伸弥さん(40)が新工場長に就いた。相談役で知恵を貸す村松さんと共に、めいの丘恵(たかえ)さんも工場を支える。村松さんは「先代たちの頑張りがあったからこそ今がある。その気持ちも、若い衆に引き継いでもらえたら」と笑顔を見せた。

 ■販路拡大知恵絞る
 村松製油所は「昔ながらの油屋さん」を守りつつ、木下伸弥工場長の入社で従来にも増したブランドの発信など新規事業にも挑んでいる。
 その一つとして始めたのが地元の子どもらを対象とした体験見学会。7月中旬、木下さんが小学生親子約30人にごま油ができる仕組みを解説。精選から圧偏、乾燥、蒸煮、圧搾までの工程を紹介した。
 木下さんは2018年1月に入社し、事務所にインターネット環境を整備。簡易ホームページを開設すると、料理人らでつくる浜松三ツ星会から早速見学依頼が舞い込むなど業界との交流が加速した。コロナ禍では汁なし担々麺専門店のラー油開発に協力。販路は徐々に拡大している。
 ただ、工場内の資機材は老朽化が進む。修理は手作業で、機械が古いために部品自体がないのが課題という。木下さんは「悩みの種は多いが知恵を絞り、地域に貢献もしていきたい」と意気込む。(浜松総局・荻島浩太)
 

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