共に歩む 2020東京五輪パラ 静岡から 世界へ 未来へ=卓球 伊藤美誠と平野美宇 母が見た友情とライバル心

 日本卓球界の女王の座を争う伊藤美誠(みま)=磐田市出身=と平野美宇(みう)=沼津市出身=。2人の出会いは4月生まれの平野が5歳、10月生まれの伊藤が4歳の時。幼少期から「みうみま(美宇、美誠)」コンビとして注目され、競い合ってきた。それぞれの選手に寄り添い、間近で成長を見守り続けてきた母たちは「2人そろってここまで来られたことは奇跡、夢物語のよう」と声をそろえる。

出会った当初の伊藤美誠(左)と平野美宇=2006年2月(平野真理子さん提供)
出会った当初の伊藤美誠(左)と平野美宇=2006年2月(平野真理子さん提供)

 「(福原)愛ちゃん2世と言われた子がたくさんいた世代。みんなで切磋琢磨(せっさたくま)していた」と平野の母真理子さん(50)は振り返る。伊藤の母美乃りさん(43)も「2人だけで走ってきたように見られるけれど、何万人もの同じレベルの選手がいた」と同意する。
 おっとりとした平野と積極的な伊藤。性格は正反対だがすぐに仲良くなった。幼いころから互いにしか分からない悩みや苦労を経験し、気の置けない間柄に。「遠征先で同部屋になってもそれぞれのペースで過ごせて、全く気を使わないみたい」と真理子さん。美乃りさんも「お互いに開けっぴろげで、オブラートに包んだ会話はしない。でもけんかにもならない」と笑う。
 平野の粘り強さと伊藤の度胸。互いにないものに刺激を受けてきた。美乃りさんは「美誠一人だったら、ある程度のところで満足してしまっていたのでは。美宇ちゃんがいたから、まだやれると思えた。その存在は大きかった」と言う。
 一方の平野はインタビューで「ライバルは?」と聞かれて「美誠ちゃん」と答えたことは実は一度もないと真理子さんは明かす。「求められている答えが分かっていて、それでも美誠ちゃんとは言わなかった。2人だけを特別扱いされたくない、作り上げられたライバル関係が嫌だったのでは」と推察する。
 6月の香港オープンと7月のオーストラリアオープンでは直接対決があった。現地で見守った美乃りさんは「技術を超えた意地のぶつかりあい。見ていた自分も、試合後に立ち上がれないほどだった」。卓球台を挟んで飛び交う2人の火花に息をのみ、1年後の大舞台での活躍に期待を寄せた。

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