静岡新聞のアーカイブから、ママ読者に反響の大きかった記事を紹介します。浜松市中央区三方原町の自宅で絵本の貸し出しを行う「えほん文庫」を主宰する大村由実さん一家が、ダウン症のある剛輝くんを授かってからの10年間を追った連載「家族の軌跡」。第3回は由実さんの夫昌良さんの話です。
>>>第1回<家族の軌跡~ダウン症の子との10年(1)=次男誕生 絶望から歩き出して>
>>>第2回<家族の軌跡~ダウン症の子との10年(2)=姉の決意 楽しく生きる 手本に>
深夜残業の日々が一転。長女は不登校、そして失業
10年前、ダウン症の次男剛輝(ごうき)が生まれてから、父の大村昌良=当時(48)=は毎日、午後8時には帰宅した。大手企業の半導体開発エンジニアとして、それまでは深夜まで残業する日々だった。妻の由実=同(42)=は、わが子に障害があることを受け入れられず、精神的に追い詰められているようだった。「突然気が変になって家族のことを忘れてしまうのでは。あっちの世界へ行ってしまうのでは」。昌良は気が気でなかった。
小学2年の長女真由帆や年中園児の長男晃央(あきひろ)と比べ、剛輝は筋力が弱く、血流や排便を促すマッサージが欠かせなかった。発達も遅い。「親としてできることは何でもしたい。少しでもこの子のためになるなら」。将来上手に運動ができるようにと、手足の屈伸もした。
その経験が“第二の人生”につながるとは、知るよしもない。毎日が必死だった。
真由帆が中学に行かず不安定だった2013年3月、管理職として県外への転勤が避けられなくなり、辞めた。真由帆だけでなく剛輝にも手が掛かる時期に、単身赴任などできなかった。いったん近くの会社に就職し、娘の高校進学が決まったのを見届けて、好待遇の栃木県の会社へ移った。ところが一転、会社は業績不振となり、15年6月に解雇された。
失業保険の打ち切り迫る中でひらめいた事業アイデア。きっかけは特別支援学校への送迎
半年にわたって120社にエントリーしたが、面接に呼ばれたのは4社。定年間近を理由に断られたのを機に「もう会社勤めはせず、やりたいことをやろう」と決めた。失業保険の打ち切りが迫る中、同年12月、東京で開かれていた国際ロボット博覧会へ出掛けてひらめいた。「化繊の糸とセンサーワイヤを織り交ぜ、触れる物の固さや強さを計測できる布を作れないか」。開発には、エンジニアの経験も、趣味のプログラミングも生かせる。
織布の用途を考えた時、剛輝の級友たちが浮かんだ。失業後は毎日、浜松視覚特別支援学校へ送り迎えしていた。そこで、手足が不自由な子どもたちに会い、剛輝をマッサージしていた頃を思い出した。指の曲げ伸ばしに励む子と、懸命に支える親。家庭での級友たちの姿を想像した。「彼らのリハビリの手助けができたら」
一人一人の筋肉の力や関節の動きをセンサーが認識して、自動的に加減する。手指の曲げ伸ばしをサポートする手袋形のリハビリ機器だ。脳梗塞などの後遺症でリハビリが必要な大人の需要も見込める。
16年8月に起業。事業計画は17年3月、静岡銀行と浜松信金のビジネスプランコンテストで最優秀賞に輝いた。すでにあるセンサーワイヤよりも極めて細く、感度と柔軟性が高いことや、幅広い用途が評価された。
開発事業費は2億5千万円を見込み、21年の商品化を目指す。賞金や公的な補助で一部は賄えるが、大半は金融機関からの融資だ。塾の講師やセンサー開発のコンサルタントとして生計を立てながら、すでにセンサーワイヤの開発、販売を始めた。事業を軌道に乗せたら、できるだけ障害者も雇用するつもりだ。
計画が行き詰まれば自宅まで失いかねないが、「このビジネスがうまくいくことで助かる人がいる」。サラリーマン時代には持ち合わせていなかった“使命感”が原動力だ。
(敬称略)
生計を立てるため、「ITロボット塾」で小中学生にプログラミングを教える大村昌良さん=2017年10月中旬、浜松市中区
>>>次回<家族の軌跡〜ダウン症の子との10年(4完)=母の“舞台” 親子集う憩いの文庫>は2026年9月23日に公開します。
2017年11月22日<家族の軌跡~ダウン症の子との10年(3)=父の起業-職失い 見つけた使命>のタイトルで静岡新聞夕刊「こち女(じょ)」欄に掲載した記事を再掲しました。肩書や年齢なども掲載当時のままです。
「こち女」は「こちら女性編集室」の略称です。女性活躍推進の機運が高まり始めた2014年10月から2022年3月まで静岡新聞夕刊の特集面を中心に展開しました。





























