「児童が行方不明」の報に血の気が引いた
3年前、当時小5の長男が朝霧体験学習へ向かった日の夕方、私はSBS報道部のフロアで警察からの一報を目にして血の気が引いた。富士宮口五合目から富士山を下山していた西豊田小の児童複数が行方不明という。しばらくして8人全員が無事見つかったという続報に胸をなで下ろしたが、翌日帰宅した長男の「自分も道に迷い遭難するかと思った」という言葉に事態の深刻さを感じ、取材することにした。
>>>「ガイドは3人で足りていると考えた」“150人が一列で下山”崩れた想定 富士山 小学生8人“一時遭難”【上】
>>>「頂上は一つだから迷わない 下りの方が怖い」山のハイキングに潜むリスク 富士山 小学生8人“一時遭難”【下】
西豊田小を引率した山岳ガイドに道案内を頼み、カメラマンとともに約150人の児童がたどったルート約8kmを歩き、遭難した2グループが発見された2つの場所を訪ねた。
体力差のある約150人の大集団が下山中ばらばらに
識者にも取材した結果、児童約150人という大集団に対し、ガイドと引率教員の数が足りなかったことが原因だと分かった。学校は全員が1列でまとまって下山すると想定していたが、児童の体力差は大きく、下山し始めてまもなく列はばらけた。
児童8人が一時遭難した日から9日後、児童が歩いた道をたどった(2023年9月10日午前9時40分)
小5保護者への説明会でハイキングの目的を問われた校長は「自然の美しさ、厳しさに出合ってほしいと考えた」と答えた。山を下るごとに刻々と変化する樹林と草花。虫の声や鳥のさえずりも標高によって変わる。そのルート(須走口登山歩道)ならではの自然環境があった。
一方、保護者からは「うちの子は遭難はしなかったが、靴の中で足が擦り切れて血が出ていた。子どもには無謀なコースだったのでは」などの意見があった。
山岳ガイドは、子どもたちにとって富士山が嫌な思い出の場になってしまったことを残念がった。
あれから3年。次男の朝霧行程表に、登山道を歩く体験はなかった。代わりに釣りが予定されていた。
帰宅した次男に一番楽しかったことを尋ねると、「木片をやすりで削ってつるつるにしてキーホルダーにしたこと」。釣りは雨で中止になったという。「二番目に楽しかったのは夕食のカレー」「三番目は昼食の焼きそばが美味しかったこと」と答えた。
広がる「体験格差」朝霧学習の役割大きく
リスクが極力排除された「安全第一」の行程にほっとする反面、3年前の校長やガイドの言葉を思い出すと私は複雑な気持ちだ。3年前の5年生が歩いた約8kmの道は、引率者が小グループごとに適切に配置され、隊列がばらけることなく無事に下山できていたならば、子どもたちにはおそらく一生に一度の思い出が刻まれたはずだからだ。友達と、とびきりの達成感も味わっていただろう。酷暑の影響や少子化で、子どもの外遊びは確実に減っている。そんな中、あえて子どもを自然体験に連れ出す家庭とそれが叶わない家庭との間で、いわゆる「体験格差」は広がっている。
ガイドや教職員の配置については、予算や人員の問題もあるだろう。社会全体がゼロリスクを追い求める風潮もあって、学校の体験学習が縮小されることはやむを得ない流れかもしれない。加えて最近は熊にも注意しなければならない。
しかし体験学習は、後にその子の人生に影響するような発見や感動に出合うチャンスでもある。子どもの興味関心、趣味嗜好が多様化している中で、自然体験を喜ぶ子ばかりではないかもしれないが、クラスメートと喜びや苦労を分かち合う時間そのものも貴重だと思う。学校の体験学習が担う役割はかつてなく大きい。
折しも次男が朝霧から帰宅した日、下の娘が「今日学校の授業で初めてカッターを使ったら3人が手を切った」と話していた。実体験に勝る学びはない。だが必ずリスクが伴う。
大きなリスクは避けつつ、それでも子どもの視野と可能性を広げるための体験をさせてほしいと願う。でもそのちょうどいい塩梅を見つけることは、今この社会ではとても難しい。
(伊豆田有希)

































