「生まれた瞬間“かわいい”という感情が湧かなかった」3人目に障害のある子を授かった浜松市の女性。絶望からの10年

胎児の染色体異常を調べる出生前診断の技術が進み、妊婦にとってより身近な選択肢となっています。その背景には「障害のある子を育てられるだろうか」といった切実な不安があるのかもしれません。しかしいくら医療が進歩しても、おなかの赤ちゃんに障害があるかどうかを正確に予測することはできません。もしも生まれた後に障害があると分かったら……?

静岡新聞のアーカイブから、ママ読者の反響が特に大きかった記事を紹介します。2026年の現在も浜松市中央区三方原町で絵本の貸し出しをする「えほん文庫」を営む大村由実さん一家の話です。ダウン症のある剛輝くんを授かった2007年から10年の間に家族に起きた変化を、それぞれの視点で描写します。

生まれた子どもにたまたま障害があった……それは決して父母や兄姉にとって不幸なことではなく、家族一人ひとりの運命を変えていく「出会い」にほかならないのです。

次男の誕生は家族にとって「第2章の幕開け」だった

浜松市北区(現・中央区)の一家がダウン症の次男を授かって10年。名前は剛輝(ごうき)。「生まれたばかりの頃はこの子の未来を何一つ描けず、絶望感でいっぱいだった」。母の大村由実(52)は振り返る。剛輝は今春、浜松視覚特別支援学校から地元の公立小の特別支援学級に転校した。楽しそうに通学する息子を見守りながら、由実は思う。「彼の誕生は、家族にとって第2章の幕開けだった」

2006年の暮れ、大村家は第3子の妊娠に沸いていた。当時41歳の由実と47歳の昌良夫妻は、自宅新築の最中だった。

由実はもともと劇団員。小中学校や劇場を回って1人芝居をしていた。昌良は市民オペラ合唱団の団長で、本業は半導体開発エンジニア。昌良が由実の芝居を見に行き、知り合った。

大きな家を建て、人が集えるホールも備える。それが2人の夢だった。由実が芝居のために集めていた絵本も並べて貸し出そうと、ホールの名前は「えほん文庫」と決めた。

工事が始まる少し前、当時小学1年の長女真由帆と年少園児の長男晃央(あきひろ)は連れ立って、何度も「下の子が欲しい」とせがんだ。由実は真由帆を産む前、流産で3人の命を失っていた。それだけに、もう1人育てたい気持ちは強かった。「40歳を過ぎたので、3人目を授かるなら今かな」

07年8月、剛輝が生まれた。「おぎゃー」と産声を上げるわが子の顔を見た瞬間、由実は「あれ?」と違和感を抱いた。なぜか分からないが、上の2人にはふつふつと湧いた「かわいい」という感情が湧かなかった。

わが子をいとおしく思えない自分に募る嫌悪感。健常児を目にするのが耐えられず……

「ダウン症の疑いがある。染色体の異常で、心身に発達の遅れを伴うケースが多い」。4日後、医師から告げられた。

昌良は、それが障害か病気かさえ分からなかった。「普通の子じゃないか。他の子と何も変わらない」と首をかしげた。医師はダウン症の顔の特徴などを挙げ、「家族の誰かに似てますか」と畳み掛けた。「似てますよ」。昌良はむっとした。これから本人や家族にどんな日々が待ち受けるのか。先の見えない不安がこみ上げた。

由実は授乳室で、冷めた気持ちのままミルクを与えた。わが子をいとおしく思えない自分に嫌悪感が募った。ふと隣の赤ちゃんを見ると、誕生日も血液型も同じ。「この子が私の子だったら」。恐ろしい考えがよぎった。健常児を目にするのが耐えられず、看護師に「別の部屋で授乳させてほしい」と頼んだ。

産前に病棟で言葉を交わしたママたちは皆、新生児を抱いて幸せそうだった。家族がにぎやかに笑う様子を、遠くから眺めた。別の世界に、突然放り込まれた感覚。がくぜんとした。

1人落ち込む由実に対して、昌良は冷静さを取り戻していた。「問題が出たら、できる限りのことをやって乗り越えていく」。エンジニアという職業柄染みついていた考え方は、育児でも同じだった。

残業を切り上げて、毎日午後8時には家に帰るようにした。インターネットで乳児の発達に良いとされることを調べ、何でも試した。

一方の由実は、「障害児の母」になったことを受け入れられなかった。「障害があると不幸」。自らに根付いていた偏見を思い知った。「剛輝が生まれたのは何かの罰では」「家族に申し訳ないことをした」。自責の念に駆られる毎日だった。
 (敬称略)

ダウン症の子の存在が、家族にどんな影響をもたらしてきたのか。大村さん一家の視点でたどる。

母大村由実さんと並んで小学校から下校する剛輝君(左)=2017年10月下旬、浜松市北区


>>> 次回<家族の軌跡〜ダウン症の子との10年(2)=姉の決意>は2026年9月9日に公開します。
2017年11月20日<家族の軌跡~ダウン症の子との10年(1)=次男誕生-絶望から歩き出して>のタイトルで静岡新聞夕刊「こち女(じょ)」欄に掲載した記事を再掲しました。肩書や年齢なども掲載当時のままです。

「こち女」は「こちら女性編集室」の略称です。女性活躍推進の機運が高まり始めた2014年10月から2022年3月まで静岡新聞夕刊の特集面を中心に展開しました。

ママイロでは毎週水曜17時に「こち女」のアーカイブを掲載しています。

Pick Up おすすめ記事

Ranking
人気記事ランキング

stat_1