逃避行、集団自決…血の海の中、息を吹き返した。戦時中、夢を抱いて静岡から大陸へ渡った19歳の“花嫁”の半生

子どもたちは学校で学び、友達と遊び、夜は家族で食卓を囲む。そんな当たり前の日常を望むべくもない時代が日本にもありました。

終戦から81年の夏。8月は、子どもと戦争のことを話す機会が増える家庭も多いのではないでしょうか。戦争を知ることは、当たり前の日常の尊さを知ることでもあります。

静岡新聞のアーカイブから、ママ読者の反響が大きかった記事を紹介します。連載「大陸の花嫁」第1回は、19歳のときに夢を抱いて満州へ渡り、結婚してまもなく夫を失い、壮絶な逃避行を生き延びた静岡の女性の話です。

「お国のため」――19歳のことさんは満州へ渡った

日がな一日、日だまりで本を読む。赤く火照った頬を緩めて「日本はあったかくていいよ」。牧之原市新庄の紅林ことさん(91)は、暮れゆく激動の人生を、今穏やかに過ごしている。

太平洋戦争末期、ことさんは日本の傀儡(かいらい)国家となった満州(中国東北部)に渡り、竜山(りゅうざん)福田開拓団内の竜山開拓女塾(じょじゅく)に所属した。

しかし敗戦直後の逃避行で帰国の機を逃し、吉林省の農村で半世紀を過ごした。日中の国交が回復し、1974(昭和49)年に手紙を出すまで、実家に生存を知らせることさえかなわなかった。

優しい表情を浮かべる紅林ことさん。壮絶な体験があったとは感じられない=2015年1月中旬、牧之原市の自宅

日本が制海権を失った42(同17)年6月のミッドウェー海戦の敗北が隠されたまま、当時の新聞やポスターには「大陸の花嫁」募集の記事が躍っていた。

19歳のことさんは、静岡県内出身者で構成する竜山開拓女塾に入ることを決めた。愛国心と、大陸への夢でいっぱいだった。出発の日、母の墓前で手を合わせ、父に別れを告げた。

春の満州には、緑の草原が広がっていた。肥沃(ひよく)な土地は実りも多く、耕しがいがあった。ことさんは滞在期間を延長し、見合いした山口県の開拓団員の元に嫁いだ。

「暗闇で偶然手が触れた相手と結婚したようなものよ。でも幸せだった」と笑う。しかし、新婚生活は1年余りで幕を閉じた。8月のある日、夫に召集令状がきた。

「開拓団員は召集されないんじゃなかったの」。唇をかむことさんの肩に手を置き、夫は去っていった。終戦はすぐそこまできていた。

「死ねない」――自決の列で、一人生き残った

4日後、「数日出掛ける準備を」と緊急招集があった。男性は皆出征してしまい、留守を預かっていた女性と子ども50人で別の開拓団に向かった。だが、ようやく着いたのに誰もいない。駅に行っても日本人は見当たらない。

「おかしい」。近くで倉庫が燃え、深夜の駅は中国人であふれ返っていた。一行は略奪で空になった倉庫で夜を明かした。

数日のはずが、何日たったのか分からないほど広野を歩いた。ある日、平原にソ連軍の戦車が現れ、銃撃を受けた。散り散りになって高さ2メートルほどのコーリャン畑に身を隠した。だいぶ前に食糧も尽き、もう限界だった。

「敵に殺されるくらいなら」。自決を促す誰かの言葉に、皆でうなずいた。銃弾が少なく、2人で抱き合った女性たちを、同行した団員が撃ち抜いていく。ことさんの前で弾切れになった。畝に伏せたことさんの上で、団員は刀を抜いた。

血の海の中、ことさんは目を開けた。自分だけ息を吹き返したのだった。動かない女性の乳に赤ちゃんがすがりついていた。別の畑に逃げた幼い兄妹が、探し当てた母親の遺体に何か叫んでいた。

ふと現れた中国人が赤ちゃんを連れて行こうとした。「やめて」。兄妹は泣いた。「連れて行ってもらえれば、赤ちゃんは助かるよ」。割腹した団員は切れ切れの息で諭すと、自らにとどめを刺した。ことさんは、声を掛けられなかった。

体が水を求め、ことさんは立ち上がってふらふらとさまよい始めた。「死ねない」。自分の生命力を呪いながら歩き続けた。

気付くと、暗い民家に寝かされていた。どこかで気を失ったのか、誰かに導かれたのか、どうしても思い出せない。

中国人が傷の手当てをしてくれた。言葉が通じないことさんに、一人の男性が「日本敗戦」と紙に書いて見せた。


敗戦直前、南下するソ連軍に追われ、満州の開拓地に取り残された人々は壮絶な逃避行を強いられた。静岡県内出身者も約9千人のうち2割近くが命を落とした。開拓団には“大陸の花嫁”を受け入れる女塾があった。「お国のため」。周囲の男性たちが次々と出征していく中、静岡県開拓団では唯一の「竜山開拓女塾」を目指す女性たちがいた。

メモ:竜山開拓女塾

満州には県単独・混成などによる約千カ所の開拓団があった。このうち16カ所に女性向けの女塾が置かれ、1943(昭和18)年に設立のピーク(6カ所)を迎えた。静岡県も各地域ごと約40の開拓団があり、42年には竜山福田開拓団内に唯一の竜山開拓女塾がつくられた。静岡県中西部を中心に20歳前後の女性124人が4期にわたって入った。半年間の勤労奉仕を経て多くが帰国したが、滞在延長し、見合いで婚した女性もいた。
2015年2月9日<轍~しずおか戦後70年×こちら女性編集室(7)=大陸の花嫁(1)-夢断たれ壮絶な逃避行>のタイトルで静岡新聞夕刊「こち女(じょ)」欄に掲載した記事を再掲しました。肩書や年齢なども掲載当時のままです。

「こち女」は「こちら女性編集室」の略称です。女性活躍推進の機運が高まり始めた2014年10月から2022年3月まで静岡新聞夕刊の特集面を中心に展開しました。

Pick Up おすすめ記事

Ranking
人気記事ランキング

stat_1