女性が発症者の9割以上を占める摂食障害。ダイエットや外見へのこだわりがきっかけと思われがちですが、その根底には、母と娘の複雑な関係や「生きづらさ」が潜んでいるケースが少なくありません。
静岡新聞のアーカイブから、ママ読者の反響が特に大きかった記事を紹介します。家庭で「いい子」を演じ続けた娘が摂食障害を経験し、「母は母、私は私」と境界線を引き、自立するまでの道のりです。
生きづらさを抱えた母娘の「生き直し」の軌跡をたどりながら、わが子との向き合い方、そして自分自身を大切にする生き方を、一緒に考えてみませんか?
「きれいになったね」と褒められたくて……発端はダイエット
食パン1斤にカツ丼、ラーメン、ポテトチップス、アイスクリーム1リットル、コーラ2リットル……。日々メニューは違うが、自室で食べては吐いてを繰り返し、およそ3人前を平らげる。静岡県西部で事務職として働く聡美(51)は15年ぐらい前まで毎晩、その作業に4時間を費やしていた。発端は24歳で始めたダイエット。食事制限に加えて、毎日立ち仕事の後にプールで2キロ泳ぎ、休日は町内を5キロ以上走った。美しくなりたかったわけではない。周りから「きれいになったね」と褒められたかった。
「あと1キロやせよう」。浮き浮きした気分で続けると、体重は8カ月で12キロ落ち、42キロに。生理は止まった。30キロを切ると動けなくなった。入院して体重を戻すうちに、拒食から過食嘔吐に切り替わった。
1、2年たったころ、摂食障害の体験談を読みながら、なぜ発症したのか自問する中で確信を持った。「母親のせいだ」。怒りがこみ上げた。
母に見捨てられたら生きていけない。妹を守るピエロ役に
3歳の夏だった。レースのカーテンが揺れ、陽光が差し込むリビング。隣には1歳の妹がいた。いら立った様子の母が、聡美に向かって言い放った。「おまえなんか大嫌い」―――。聡美にとって「時計が止まった」瞬間。幼心に「母に見捨てられたら生きていけない。“いい子”で生きよう」と決意した。以来、母に甘えた記憶はない。家庭では、仲の悪い両親の間を取り持つ「ピエロ」や、妹を守る役に徹した。友人の前でも嫌われたくない一心から、相手の顔色をうかがいながら発言を変える「カメレオン」だった。
40歳を過ぎたころ、相性の合うカウンセラーに巡り会い、3歳の出来事を初めて人に打ち明けた。「それはあなたが悪かったからじゃない」と言われてようやく、深い傷が癒える思いがした。
母にぶつけられなかった怒りを、2年間にわたってカウンセラーに吐き出し、「もういい」と許せた。「母には初めての子だった。ヒステリーになったのも仕方ない」。わだかまりは解けていった。
カウンセリングを終えるまで「カメレオン」のように人に合わせる生き方が息苦しいことにさえ、気付いていなかった。
「“いい子”を演じるなんてもうできないと、自分自身が叫び声を上げたのが24歳の時」。聡美はそう考えている。
やせ細る娘を、母は心配した。聡美はうれしかった。甘えられなかった時間を取り戻すかのように、拒食や過食嘔吐を通して「私を見て。私を気遣って」と母に訴えていたのだった。
摂食障害にならなければ自死を選んでいたかもしれない
聡美は「もし摂食障害にならなければ、自死を選んでいたかもしれない」という。摂食障害は、自身を守る手段だった。独身で、両親と一緒に暮らしている。長年「母が望むような人でいなければ」と、聡美が自らの心を縛り続けた鎖はほどけ、母の意見を過度に真に受けたり反発したりすることはなくなった。
「母は母、私は私」。聡美は自分がようやく自立できたのだと思う。
発症から27年。今も月に1回程度、食べ過ぎて吐くことがある。摂食障害の症状を引きずってはいるが、もう「障害」ではない。
(文中仮名)
■メモ:摂食障害とは
食べ方の異常と、体重や体型へのこだわりが特徴の精神疾患。激しい運動や食事制限、嘔吐、下剤の乱用などで極端にやせた状態を保とうとする「神経性やせ症(拒食症)」、短時間に大量に食べる衝動を抑えきれず、その後自責の念から嘔吐や下剤の乱用、絶食などをする「神経性過食症(過食症)」に大別される。
買い物帰りの聡美。長年、家族への負い目から、過食以外にお金を使わなかった。今は友人とのランチや映画観賞を楽しむ=静岡県西部
2015年09月15日<母と娘の再出発~摂食障害乗り越えて(1)=「私を見て。気遣って」 心の叫び 「いい子」演じ続け限界>のタイトルで静岡新聞夕刊「こち女(じょ)」欄に掲載した記事を再掲しました。肩書や年齢なども掲載当時のままです。
「こち女」は「こちら女性編集室」の略称です。女性活躍推進の機運が高まり始めた2014年10月から2022年3月まで静岡新聞夕刊の特集面を中心に展開しました。








