女性が発症者の9割以上を占める摂食障害。引き金はやせ願望だけではありません。「いい人」であろうと頑張りすぎた心のひずみが、症状となって現れることがあります。
静岡新聞のアーカイブから、ママ読者の反響が特に大きかった連載の第2回を紹介します。何でも完璧にこなす母を理想として、家事も育児も手を抜かずに生きてきた女性。自身の摂食障害の意味にようやく気付いたとき、今度は自分の娘が同じ病になっていました。
母から私へ、私から娘へ――。世代を超えて無意識に受け継がれる、理想の女性像。それは、あなたが本当に望む姿なのか。いったん立ち止まって考えてみませんか?
高2の夏。順風満帆な日々から一転
両親は惜しみない愛情を注いでくれる。望み通りの進学校に入学した。友人にも恵まれ、私の人生は順風満帆―――。そう信じて疑わなかった高校2年の夏。静岡県中部の自営業香苗(51)は摂食障害になった。その夏、香苗は下痢に見舞われた。数日間食べられずにいたら、体重が減った。うれしかった。「もっと食べなければもっと痩せる」。体重が戻る恐怖から、体調が回復しても、食べる量を抑え続けた。次第に何を、いつ、どれだけ食べればいいのか分からなくなった。
身の異変に戸惑いながら、1年後には過食と拒食を繰り返すようになった。家族が寝静まって台所にあるおかずや菓子を食べ始めると、腹が膨れて苦しくなるまで止まらない。我に返ると自己嫌悪にさいなまれ、その後数日間は食事を控える。そんな生活が大学に入ってからも続いた。
懐石料理のようなごちそう、手作りの洋服…手を抜かず不平不満も口にしない母
大学を卒業後、念願の教職に就き、結婚。2人目を出産後、仕事と育児の両立に限界を感じて退職した。そのとき頭をよぎったのは母の姿。祝い事など人が集う時、母は懐石料理のようなごちそうを並べた。香苗が中学生になるまで、洋服も全て手作り。保護者会や町内会の活動も手を抜かない。不平不満は口にせず、いつも誰かのために夜中まで作業をした。だから香苗も、家事や育児をおろそかにしたくなかった。
3人目を産んで数年後、義母が入院し、義父が同居した。1番上の長女瑠衣(24)は小学校に上がったばかり。育児に介護に手いっぱいでも、香苗は付き合いで「行事の幹事をやって」と頼まれれば断れず、夜中までパソコンに向かった。
子育てに忙しくなってから自然と、摂食障害の症状は治まった。ただ、なぜ食事をコントロールできない事態が起きたのか、分からないままだった。
疑問が解けたのは40代前半。きっかけは70歳を過ぎた母の死だ。「お母さんは100年分の人生を生きた」。葬儀に集った母の親族や友人が口々にそう涙した。
香苗は母に問うた。「いつも笑っていたけど、本当はつらい時もあったんじゃない?」「もっと自分のために人生を楽しむ方法があったのでは?」
母の死後に気付いた、私が摂食障害になった理由。そして長女も
香苗は、母という女性を理想とし、母と同じ道をたどってきたことに気付く。周りの期待に応えようと動く自分に逆らえず、「いつも元気ね」と言われながら気を張って生きてきた。「心は悲鳴を上げているのに頑張りすぎたひずみが、摂食障害となって現れた」。そんな気がした。母の死からしばらくして、大学生だった長女瑠衣が拒食になり、過食嘔吐に移った。几帳面だった瑠衣は、発症前から急にだらしなくなった。まるで香苗に「こんな風に適当でも生活できるんだよ」と訴え掛けるかのように。
「母と私。私と娘。程度の違いはあれど、似ている気がする」。摂食障害が何らかのひずみを現すサインなら、瑠衣にとって必要。そう捉える半面、通院や本人の意思で治る病気ではないと知る香苗にとって、先の見えない不安な日々だ。
香苗は摂食障害になってから、別の部屋で寝ていた両親が「川の字」に寄り添ってくれたことを思い出す。「両親がしてくれたように、娘がつらいときにはいつでも支える。安心できる家庭でありたい」。そう心に誓いながら「誰かに倣うのでなく、娘にとって心地のいい生き方を見つけ、楽になってほしい」と願う。
(文中仮名)
■メモ
摂食障害の発症年齢は10代後半~20代前半が最も多い。過食症は標準に近い体重を保ち、見た目に分かりにくいため、潜在化しやすい。「拒食症の生徒は高校1校1学年に1人はいる印象。過食症を含めるともっと多い」(県内の精神科医)。中には、アルコール依存症や自傷行為、万引などを併発する人もいる。
瑠衣に縫ったベビー服を手にする香苗。「母を目指して頑張った証し。結局洋裁は続かず、母と私は違ったという証しでもある」=静岡県中部
2015年09月16日<母と娘の再出発~摂食障害乗り越えて(2)=家事育児…理想の姿追いかけ-憧れ、苦しみ心にひずみ>のタイトルで静岡新聞夕刊「こち女(じょ)」欄に掲載した記事を再掲しました。肩書や年齢なども掲載当時のままです。
「こち女」は「こちら女性編集室」の略称です。女性活躍推進の機運が高まり始めた2014年10月から2022年3月まで静岡新聞夕刊の特集面を中心に展開しました。









