(文と写真=論説委員・橋爪充)

今年50周年のNHK番組「日曜美術館」にかつて登場した作品、作家らが次々登場する。全5章だてで、絵画、彫刻、工芸品、土器など200点超が並ぶ。
テレビ番組が主題なので、各章ごとに番組映像がモニターに映し出される。1970年代からの、貴重な映像の数々を前に、観覧者同士の会話にも花が咲く。いつもの県美の展示室に比べると、多少にぎやかさがある。とはいえ、皆さん節度があるのでガヤガヤした感じはない。
高橋由一『鮭』(1877年頃、東京芸術大蔵)
考えてみれば、美術作品というのは「いろんな人の話を聞く」機会というのはなかなか訪れない。「日曜美術館」のいいところは、「この人がこの作品をどう感じたか」というマッチングの妙だ。アカデミックなゲストが解説を加えるのも、それはそれで勉強になるのだが、専門的な見地からでない「私はこう見えた」「私はこう感じた」がオリジナルの言葉で届けられると、「ふむふむ」と思う。本展も、主役は作品なのだろうが、準主役は「出演者のコメント」である。同意できる場合も、できない場合もある。でも、大事なのはそこではない。「○○さんにはこう見えているんだ」という、新鮮な驚きのようなものが、どのコメントにもある。以下は、掲示されたコメントの一部抜粋。
長沢芦雪『龍図襖絵(昇龍図)』(江戸時代・18世紀、島根・西光寺)
〈オデュロイ・ルドンの諸作について〉芯の中心に黒がちゃんと定着している。鮮やかな色を黒はちゃんと包み込んでいる。(唐十郎 劇作家、作家、演出家、俳優)
〈ダリについて〉
ガラに裏切られたということは、芸術的な意味では、非常に豊かなものを生み出したと思います。(岸惠子 俳優)
石田徹也『飛べなくなった人』(1996年、静岡県立美術館蔵)
〈石田徹也(焼津市出身)について〉誰しもが持っている、幼い頃の、根拠がないんだけれど、未来に対して、人生に対して不安だみたいな。子ども心にあるじゃないですか。みんなが持っているそういうモノを彼が一身に引き受けている絵にしていたかのようなイメージ。(大槻ケンヂ ミュージシャン)
アルベルト・ジャコメッティ『ヤナイハラⅠ』(1960~61年、国立国際美術館蔵)
〈アルベルト・ジャコメッティについて〉真実を追求してやまない情熱。真剣な仕事の仕方、あるいは生き方、そういったものに非常に私は感動を受けた。(矢内原伊作 哲学者、評論家)
ジャコメッティに大きな影響を与えた矢内原のコメントは、いろいろと深読みしてしまう。そもそも、番組はどうやって、ゲストの人選をしているのだろうか。最も絶妙だと思ったのは次の組み合わせだ。
〈熊谷守一について〉
守一さんほどこうやってこうものを捉えるつてことは本当に長い年月が必要なんだろうなと思いますよね。(皆川明 デザイナー)
最晩年は同心円による作品を展開した熊谷。皆川が主宰する「ミナ ペルホネン」を象徴する、ちょっとだけ不ぞろいな円を連ねたテキスタイル「tambourine」との接続点を探してしまう。両者のコンセプトは全く違うが、優れたアーティストが、深い部分で影響を与え、受けしているような。そんな可能性。「なきにしもあらず」と笑みを浮かべてしまった。
本展のもう一つの見どころは、所蔵館のラインナップ。日本全国の美術館から作品が貸し出されていて壮観というしかない。例えば、自分がかつて所蔵館で見た作品に再会、といった瞬間もあり、なかなか感動的である。
岸田劉生『椿君に贈る自画像』(1914年、東京都現代美術館蔵)
個人的には岸田劉生の『道路と土手と塀〈切通之写生〉』(東京国立近代美術館蔵)、安藤緑山の『竹の子に梅』(京都国立近代美術館)がそれに当たる。もちろん、静岡県立美術館の所蔵品からも石田徹也『飛べなくなった人』や李禹煥『照応』などが出ていて、こちらは「静岡代表」のような感覚で鑑賞した。通常の展覧会であれば、作品キャプションがノイズになることがなきにしもあらず。だが本展は作品とキャプションをセットにして、イメージを膨らませたい。作品そのものはもちろん、コメントの当事者がどんな人かについても理解が深まる気がして楽しい。
<DATA>
■静岡県立美術館「NHK日曜美術館 50年展」
住所:静岡市駿河区谷田53-2
開館:午前10時~午後5時半(月曜休館、月曜日が祝日・振替休日の場合は開館し、翌日休館)
観覧料(当日):一般1800円、70歳以上900円、大学生以下無料
会期:9月27日(日)まで












































































