(文と写真=高度専門記者兼論説委員・橋爪充)

幕張メッセのマウンテンステージ。掉尾を飾ったデイヴィッド・バーンのライブは躍動と情熱、ユーモアとハーモニーが満載の、それはそれは素晴らしいものだった。サマソニ大阪でのステージが控えているので詳細は控えるが、トーキング・ヘッズ時代から最新アルバムまでの、キャリア総覧的な内容だったのではないか。
映画『アメリカン・ユートピア』のプロジェクトを、エンターテインメントとしてさらに「開いた」形だ。音楽とダンスががっちりハグし合っているような表現で、人類の根っこにある「祝祭」を現代によみがえらせたような感覚を抱いた。
このステージだけは間近で見たいと思い、開演予定の1時間前から立ったまま待機した。前後の人との間はほとんどない。
演奏が始まった。黒いキャップをかぶった右前方の男性が、やにわスマートフォンを高く掲げ、撮影を始める。またか。ため息が出た。バーンのファンであるならば、そうした人は少ないのかと思っていたが。
1曲目が終わり、かなり長いMCがあった。その間もずっと撮っている。言葉を選びに選んでこう言った。「視界に入って邪魔なので、撮影をやめてもらえませんか」
いったんやめた。だが次の曲のアタマからまた撮り始めた。少し低めにスマホを構えている。そういうことじゃないんだけどなあ。
群衆の中でスマホ撮影されると、目の前で繰り広げられているライブの視界に別の窓が開いたような気持ち悪さがある。例えて言うなら、シリアスなドキュメンタリー番組を見ているのに、なぜか映像の右上にワイプ画面が入り込んでいるようなものだ。
たいていの撮影者は自分の頭より高くスマホを掲げる。一言で言えば「邪魔」である。バーンは恐らく新旧12曲を演奏したと思うが、新しい曲が始まるたびにスマホをかざす人がいる。撮影に及ぶ人は決まっている。筆者の目分量では20人に1人ぐらいか。邪魔だ。
口頭で自制を求めた前方の男性も、相変わらずこそこそ撮っている。撮影しなくては体の調子が悪くなるとでも言うのか。何より、こんな「○○警察」のような思考でライブを見ている自分が嫌になる。鑑賞体験が明らかに毀損された。
ステージの撮影は、フェスのルールやマナーにも反している。サマーソニックの公式サイト内の注意事項には「出演アーティストの撮影及び録音、配信はご遠慮ください」と明確に書いてあるし、各ステージの大きなモニターや会場内のPOPでもしつこいぐらいに訴えていた。

一夜明けてXなどを見ると、昨夜のバーンのステージがいくつもアップされ、何らかの感想が添えられている。自分がルール破りをし、それを誇ってさえいることに気付いていないのだろうか。アーティストの肖像権も侵害している。
フェスに行くといつもこのことがストレスになる。10年ほど前は演奏中の撮影について、もう少し厳しい対処がなされていたように思う。静岡県で開催された「頂」では、ステージ前のセキュリティーが目を光らせていて、指さしで「やめろ」と伝えていた。
近年は、主催者やアーティストが撮影OKとしている場合もあるからややこしい。それでも、ライブの動画撮影が気になる人がいることは頭に置いてほしい。ステージから10メートルぐらいの距離で、体を動かすことなく一心不乱に撮影に励む人を見ると、この動画を何に使うんだろうと不思議になる。後日、自宅で楽しむのだろうか。SNSにアップして、喝采を浴びたいのだろうか。目の前のライブは置き去りだが、それでいいのか。
くしくも、今回のバーンのステージ後にMCの方が「まるで劇場にいるようでしたね」という意味のことをおっしゃった。その通りだと思った。だからこそ一層、野放図なスマホ撮影が残念に思われた。撮影OKの劇場や映画館など、ない。
そういえば映画館では必ず、盗撮を禁じる「NO MORE 映画泥棒」の映像が流れる。本音を言うならば、音楽公演やフェスでも「NO MORE ライブ撮影」がマナーとして定着しないかなと思っている。鑑賞体験が平等に保証されるなら、「スマホ画面を視界に入れずにライブを見る権利」だってあるはずだ。













































































