(文=高度専門記者兼論説委員・橋爪充、写真=写真部・久保田竜平)
読めば読むほど、人間の体から出るどろりとした液体のにおい、ぬるりとした手触りの記憶が胸の内にたまっていく。ちょっと覚えがない読書体験だ。江戸の街が舞台になっているが、月経の血と放たれた精が、物語全体を支配している。腹に命を抱えた女の痛みが、これ以上ないほど生々しく伝わってくる。例えばこう。臨月間近の妊婦が、乗ってきた駕籠(かご)から降りて、医者の屋敷に向かって歩く場面。
下っ腹の痛みが鎌首をもたげた大蛇みたいに襲いかかってきたのは、勝手口を探してうろうろしてたときで、そのときにはもうどろっとしたなまぬるいのが幾筋も足を伝っていたのだが、それが「あ」と声を出す間もなく、どうっと溢れた。血のにおいがしたのを憶えている。あぶくが立つような大量の血のにおいだった。(175ページ)
人間が一つの生き物、哺乳類の一種でしかないことを、強烈に感じさせる。いくら手を尽くしてもあらがえない自然の摂理。コントロールしようがない、ままならない自分の体。本作には、それによって翻弄(ほんろう)される自分自身を「籤(くじ)引き」に例える人も出てくる。
〈一生ってきっと籤引きの連続なのよ。籤引きに始まり籤引きに終わる、それが人の一生なの〉
〈我が身に起こるのは、みいんな、この手で選み取ったものなのよ〉(297ページ)
自分の身に降りかかる良きことも悪しきことも、くじを引いた自分のせい。自責思考を徹底しないと、自分の体が持たない。そんな逆説が説得力を持つのは、多くの女性が「生む存在」でしかない時代の哀しさゆえか。
6歳で罹患(りかん)した天然痘のせいで体一面にあばたが残る「ふゆ」は、女やもめの「おっかあ」と器量よしだがのぼせ癖がある妹「りよ」の3人暮らし。賢さを見込まれて手習いの師匠に預けられたふゆは、師匠の養子に手込めにされ懐妊。堕胎を命じられ、絶望的な気分で女医者の「おこまさま」を訪ねるが、ここで運命が変わる。「現人神」とあがめられるおこまさまは、ふゆを後継ぎと見込み、10年かけて技術と知識を授ける。かくしてふゆは、江戸中に知れ渡る名産科医となり、自らの信じる医療を追求していく。
心身のどこかが欠落した男女がふゆを取り巻く。性愛への欲望と、家制度を支える「後継ぎ」問題がごっちゃになったり、整理されたり。生身の人間ばかりでなく、ふゆの胸の内にいる一角獣がしゃべり出したり黙ったり。
読者はぬめっとした世界のあちこちを引き回される感覚を味わう。これは血管の中を滑走する、ジェットコースター小説である。












































































