(文=高度専門記者兼論説委員・橋爪充、写真=写真部・久保田竜平)

「キッチンにはハイライトとウイスキーグラス」で始まるハナレグミの『家族の風景』(2002年)は、「7時には帰っておいでとフライパンマザー」と続く。ふくよかなメロディーと歌声。「どこにでもあるような家族の風景」と繰り返す歌詞には、桃源郷のような面持ちがある。涙腺が緩む。
本当のことを言えば、キッチン=台所は十人十色、百人百様である。「どこにでもあるような」風景は作り得ない。
台所は、単に食事を作るための機能を集約した空間ではない。使う人の美意識や嗜好性を映し出し、時にその人の生き方や内面がむき出しになる、不思議な場所だ。
幸田露伴の娘である幸田文を思い浮かべる。自分のことを「台所育ち」と言い、台所を料理の技術、気配り、四季折々の情緒を学ぶ場として捉えた。幸田文にとって、台所は修練の場だったのだ。
原田ひ香さん作『#台所のあるところ』には、年代も住んでいるところもばらばらな6人の女性が出てくる。それぞれの台所から、物語が流れ出す。
子どもが独立し、定年退職した夫は海外に行ってしまった飯盛敦子(55)は冷凍庫が機能不全に陥ったのを機に、ついのすみかならぬ「ついの台所」を考え始める。
「鈴木」と「内藤」の二つの姓しかない不思議な島に嫁いだ鈴木寿子(65)は、夫に先立たれた後も5台の冷凍庫、冷蔵庫を活用して、いただきものの野菜や魚を長く保存している。島に暮らして40年たっても、因習になじむことはできない。
訪問介護の仕事をしながら4人の子どもを育てるシングルマザーの高木花絵(48)は、ままならない日常の中で、中華鍋でつくる揚げ物が食卓の定番になっている。反抗期を迎えた長女、次女、三女に手を焼きながら、自分と家族の関係を見つめ直す。
全6編の短い小説を、テレビドラマ『台所のあるところ』が貫く。横串が通っているイメージだ。公務員遠藤智子と、智子のかつての親友の娘である三浦瑠奈の二人暮らしを描く。瑠奈は2歳の時に、実母に置き去りにされた過去がある。
全6編の主人公たちは、このドラマを視聴し、Xに投稿する。見ず知らずの人と『台所のあるところ』のコミュニティーが出来上がっていく。短編の主人公が変わるたびに、ドラマの物語が進んでいく。なかなか凝った構造である。
ドラマは「いかにも連ドラ」と言いたくなる展開だ。原田さんは、恐らくわざとやっている。各編の真ん中に作為的、ご都合主義的なドラマがあると、それを見ている側の6人の物語の真実味がいやが応にも増していく。
甘いスイカに塩を振ると、甘さが増して感じる現象に似ていないか。これは作家の独創的な仕掛けであり、技術である。











































































