(文と写真=高度専門記者兼論説委員・橋爪充)

前夜に山梨県を震源とする静岡県内最大震度5弱の地震があり、公演当日は台風7、8号の日本列島接近が予想されていた。26日の地震で東海道新幹線は、一時運転見合わせ。27日は大雨により、県東部・伊豆では最大でレベル4の避難情報が出ていた。
結果的に静岡市清水区の会場周辺は災害級の雨には至らなかったようだが、楽団員やスタッフ、来場者の「足」には少なからず影響があっただろう。だから、午後1時過ぎに客席が埋まっているのをみて、胸をなで下ろした。
クラシックではなくヒップホップやロックのライブの話だが、こういった天候アクシデントがあった際のライブでは、得てして想像や期待を超える演奏が聴けるものだ。筆者は何回も経験している。富士山静岡交響楽団の公演は当然、ホールでの開催だったが、さまざまな「困難」を乗り越えて同じ場所を共有している演奏者と観客に、得も言われぬ一体感があった。

そのことがちょっとしたハプニングを呼んだのが、第2部のチャイコフスキー『悲愴』だった。テンポの速い行進曲風の第3楽章は、管弦総動員の濁流のような演奏が怒濤のティンパニに導かれて歯切れ良くエンディングを迎えた。
と、その時。客席から複数のかなり大きな拍手があった。同楽曲は全4楽章だ。指揮台の高関さんはゆっくり体を反転させ、両手で「まあまあ、落ち着け」といったしぐさを見せる。
その後の第4楽章は、静謐かつ重厚という並び立たないはずの二つの要素が交じり合う、心のひだにじわじわと染みこむ味わい深いものだった。命のろうそくの炎がゆっくり消えゆくような、限りなく音量ゼロの弦の響きと、余韻の中でそれでも動いている指揮棒。戦慄した。
第3楽章で拍手をした観客の気持ちがとてもよく分かる。それだけ、客席の姿勢を前のめりにさせる力があったということだ。誰がどう聴いても「大団円」である。むしろ、この後に黄泉の道へ下っていくような第4楽章を作るチャイコフスキーの常識外れの作曲態度にこそ、着目すべきだろう。個人的には良い場面に遭遇したと思っている。
第1部のベートーベン『皇帝』ではイリヤ・ラシュコフスキーさんが、美しい音色を響かせた。筆者の隣に座った男性2人組は1部終了後、何度も「美しかった」と称賛していた。ダイナミックレンジが広く緩急も自在。何より、強い音が決して濁ることなく明快に届いた。
弦によるおなじみの「あの」旋律の連発は、やはり心沸き立つものだった。ベートーベンのきわだったメロディーメーカーぶりを改めて認識した。
静岡交響楽団代表などを歴任し、富士山静岡交響楽団では長く事務局長を務めた前田衞さんが6月25日付で退任し、顧問に転じた。同じ日付で大野順二常務理事が専務理事、佐生豊事務局長代理が事務局長に就任した。この日のコンサートは交響楽団の新体制で迎える初の定期演奏会だった。











































































