「ママカメラに辟易」の巻/子育てコラムあすなろ

 下手の横好きでカメラが好きです。出産を経てこだわりが増し、描写に定評がある古いレンズを少しずつ集めています。銘玉の評がついえることのないレンズさえ、自動でピントが合わないマニュアルというだけで定価の2割程度で売り出されています。お財布にも優しいですし、手によるピント合わせに慣れてしまえば、走る子や犬を撮るのもオートに比べてさほど苦労がないなぁという個人的印象です。
 そんな訳で、私の娘はいつも私の被写体として、我慢を強いられてきました。赤ちゃんの頃はあやしてくれた母の顔が急に黒い物体(カメラ)の影に隠れてしまい、目を合わせられくなることに不安を感じ、今は遊びの最中で、気持ちがピークに達したところで母がおもむろにカメラを構え出す…この世に生を受けた産院のベッドからそんな日々で、辟易(へきえき)としているのではないでしょうか。
 我が家はひとり親家庭なので、基本的には母子2人でのやりとりです。私が撮り始めれば遊びなどの作業が中断することもあります。
 先日、液晶でカットをこま送りしたところ、「遊んでいる最中になぜ(怒)」→「面倒くさいな」→「作り笑いでもすれば終わるかな」という娘の心境の変化を見事にとらえていました。遊びの連続性がいかに重要か取材先で勉強させてもらうことも多いだけに、ぎこちない娘の作り笑顔を見ていると「ほどほどにしないと子育てまで失敗する」という懸念が膨らみます。この点においては、両親がいる家庭環境が本当にうらやましいです。
 たまに撮る妹や友達のスマホ写真の方がよっぽど生き生きとした雰囲気をとらえていることもあり、撮るつもりがないくらいの方がシーンを見極められるし、子どもの心的負担も軽減されて良いのかなと思います。
 でも、やっぱり、気に入ったレンズで満足いく写真を撮れた時の満足感は何にも代えがたいものです。欲を自制しつつ、娘の気持ち最優先で撮っていきたいものです。 

(のびのび)

子育てコラム「あすなろ」(797) 「ママカメラに辟易」の巻

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