小川三知、生誕150年で光 日本ステンドグラス作家の草分け

(2017/1/25 17:30)
三知の出世作となった慶応義塾図書館の「ペンは剣よりも強し」の大ステンドグラス(1945年焼失、74年復元)。静岡にゆかりの深い和田英作の原画に基づく(慶応義塾広報室提供、図書館改修中で現在非公開)

 静岡市に生まれ、大正から昭和初期にかけて日本のステンドグラス作家の草分けとなった小川三知が今年、生誕150年を迎えた。狩野派最後の巨匠と言われる橋本雅邦に学んだ日本画と、米国仕込みのガラス技法を融合させた無二の世界を確立し、日本に本格的ステンドグラス作りの礎を築いた。県内外から再評価を求める声が上がっている。
 三知は静岡藩医小川清斎の次男として裏一番町(現在の葵区住吉町)に生まれた。医学を志したが、幼い頃から好きだった絵画への情熱を絶ちがたく、第一高等中学校(現東京大)を中退し東京美術学校で雅邦に学んだ。1900(明治33)年に日本画教師として渡米しステンドグラスと出会った。
 44歳で帰国後、重要文化財慶応義塾図書館(東京都港区)をはじめ全国の公共建築や邸宅、貨客船などに多くの作品を残したが、関東大震災や太平洋戦争で失われた作品も多いとされ、近年、調査や復刻が進む。
 三知研究の第一人者の田辺千代さん(75)=横浜市=は「ティファニー製にも引けを取らない水準にもかかわらず、高度経済成長期にかけて省みられなくなった。日本のステンドグラスを芸術の域にまで高めた三知ら草創期の作家を忘れるべきでない」と強調する。
 2004年、三知の遠縁に当たる村上開明堂(静岡市葵区)の当時の村上英二会長=現相談役=を会長に「小川三知を讃(たた)える会」が発足し、作品の写真展などを開いたが、同社によると、今は活動休止状態という。
 同区で工房「静岡ステンドグラス・スタジオ」を主宰する安部静三さん(63)は「米国のガラス技術を日本人なりに昇華させ、日本画的な要素をガラスのカットに生かせるたぐいまれな芸術家だった。ただ、静岡で評価されているとは言い難い」と残念がる。

 <メモ>小川三知(おがわ・さんち) 1867(慶応3)~1928(昭和3)年。日本にステンドグラスを初めて伝えた宇野沢辰雄と並ぶ草創期の作家。現存している作品は百数十点ほどとみられ国内だけでなく朝鮮半島や台湾にも残る。静岡市役所静岡庁舎本館(34年落成)の玄関ステンドグラスは三知設立の「小川スツヂオ(スタジオ)」の設計とされているが、田辺さんによると、三知とは無関係。市議会議場のステンドグラスは当時の資料などから、三知のおいに当たる小川三樹と木村信三の兄弟によるものと確認されている。

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