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2014年10月

2014年10月31日 17:52

愛情運転パトロール

10月31日(金) 自転車の責任

自転車が関連する事故が多くなって、
また 自転車の交通安全に関する
新たなニュースが入ってきました。

兵庫県では 来年にも 
自転車の購入者に自転車保険の加入を義務づける
条例案が提出されるというのです。

自転車は クルマの仲間。

自転車だから その責任が軽いということはなく、
自転車に乗るときも クルマのドライバーと同じように 
安全運転への責任感が求められるのです。


まもなく 自転車にも 保険が義務化される時代が
やってくるのかもしれません。
     
どちらにしても 
さあ 自転車の交通安全、みんなで守りましょう。

2014年10月30日 17:58

2時のうんちく劇場

10月30日  火星と宇宙戦争

1938年10月30日
アメリカでオーソン・ウェルズ演出のラジオドラマ『宇宙戦争』
が放送され、本物のニュースと勘違いされ、アメリカ中で
120万人以上が大パニックに陥った日です。


「宇宙戦争」がラジオドラマとして放送されたのは1938年
(日本では昭和13年)ですが、もともと小説として1898年
(明治31年)に書かれたものです。さらに小説が書かれる
20年ほど前、1877年(明治10年)火星が地球に大接近した
ことがあります。ミラノ天文台にいたスキヤバレリが大接近した
火星を観察し「火星には溝がある」と報告しています。
報告書にはイタリア語で「Cakeli:カケリィ」と書かれていた
のですが、英訳するときに間違って運河という意味の
「Canal:キャナリィ」と誤訳されてしまったことから
「火星には人工的に作られた運河がある」と誤解され、
それから20年ほど掛けて「火星には知的生命体が存在する」
と話が膨らみ、その末に小説の「宇宙戦争」へと話が広がって
いったのです。


この1877年の火星大接近は日本でも騒ぎを巻き起こしています。
1877年(明治10年)というと日本では西南戦争からの混乱が
西郷隆盛の死によって治まった年です。しかし庶民に
人気のあった西郷隆盛が死んだ直後から、夜空に観たことも
ないような大きな赤い星が輝いていたことから、
「あの星は西郷隆盛の恨み星だ」と庶民が騒ぎ始め、空に
向かって拝むような人も出てきたそうです。政府はその騒ぎを
収めるために「あれは火星という星でそんな意味はない」
と必死に否定をしたのですが、民衆は「あんなに否定する
のはあやしい」と言い出し、さらにその近くに土星が
見えたことから「あれは西郷の側近・桐野利秋
(きりの・としあき)の星だ」とウワサが広がったそうです。


1938年(昭和13年)のラジオドラマ「宇宙戦争」ですが、
世界規模の戦争が起こる直前の不安な時代だったことが
パニックの引き金になりました。しかもこのラジオドラマ、
普通のドラマではなく丸々ニュースのアナウンサーが
宇宙人侵略を実況中継するという主旨のドキュメンタリー風
ドラマだったので、冒頭の「ラジオドラマ」という説明を
聞いていなかった人がパニックになってしまったのです。
このドラマが凄いのはアナウンサーが刻々と変化するニュース
を読み上げ「詳しい情報が入り次第続報をお知らせします」
と意って、普通に音楽が流れだし、それがいきなり中断される
形で「たった今入った情報によりますと」と各地の状況報告
をするという内容だったのです。さらに宇宙人が攻めてきた
現場からアナウンサーが実況中継をして、最後は「こちらに
近づいてきます」と叫んだ次の瞬間、爆発音が鳴り響き、
放送が途切れノイズがしばらく流れた後「え?こちら
ニューヨーク局です」と別の放送局が引き継いでニュースを
語り出す、という念の入ったものだったようです。


ラジオを途中から聞いて本物だと勘違いした人々が、
さらにラジオを聞いていない人にもそれを伝え、町中が
パニックになったとされています。電話など通信手段
交通手段が麻痺して、そのことから警察も事態を把握できず、
軍隊も他の地区の軍隊との連絡も出来なくなったために、
アメリカ全土がパニックに陥ってしまったのです。

2014年10月30日 17:50

愛情運転パトロール

10月30日(木)  お互い気をつけていこうぜ!

昔は バイクでツーリングをしていると、
すれ違ったバイクと合図を送り合って 気分よかったよ。

そんなことを 知り合いのおじさんが言っていた。

見知らぬ同士が 同じバイク乗りとして連帯感を楽しむ。
きっと、 
「 お互い 気をつけていこうぜ。」
そんな思いまで 送っていたのだと思う。

ボクは いいなと思った。

そんな関係がクルマにも あったらいい。
ドライバー同士の仲間意識。
お互い ひとつの道で出会ったのだから・・・。
    

交通安全は テクニックより ハートです。   
今日は この言葉を愛情運転の愛・言葉としておくります。

2014年10月29日 17:48

愛情運転パトロール

10月29日(水)  気をつけての声を聞こう

クルマで出掛ける時 見送る妻が
「 気をつけていってらっしゃい 」と言ってくれる。

実際には 走り出したエンジン音で
その声は 途中でかき消されていたかもしれない。

これでは 妻に申し訳ないし、
折角の「 安全運転してね 」の心を
しっかり受け止めたとはいえない。


もっと ゆとりを持とうと思う。
    
そうすれば、気をつけての言葉が 目的地に到着するまで、 
ボクを 安全運転させてくれるかもしれないから。

交通安全は テクニックより ハートです。   
今日は この言葉を愛情運転の愛・言葉としておくります。

2014年10月29日 17:47

2時のうんちく劇場

10月29日  モーツァルト

1787年10月29日:モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』
がプラハでモーツァルト自身の指揮により初演されました。


このモーツァルトは3歳からピアノを弾き始めたのですが、
別に教えたワケでもなくお父さんが引いていたピアノの音を
真似して、いきなり3度の和音を弾き、次第に耳で聴いた音を
ピアノで再現する事が出来るようになっていき、5歳の時に
頭の中に流れているメロディを表現する、いわゆる作曲を
はじめたそうです。


その神童ぶりは王室までに届き、6歳の時にウィーンで開かれた
演奏会に招待されて、国王の前でピアノを演奏しています。
その演奏が終わって戻る時にモーツァルトは転んでしまう
のですが、それを近くにいた女の子が助け起こして上げています。
その女の子は同い年、6歳のマリー・アントワネットでした。
助け起こされたモーツァルトは「君は優しい人だね、
大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったそうです。


少年時代からモーツァルトはお父さんと一緒に演奏旅行として
ヨーロッパ各地を馬車で移動していました。モーツァルトは
10代後半まで延々と演奏旅行を続け、生活もほとんど
馬車の中で済ませていたそうで、馬車の中で作曲をし、
食事もとり、さらにトイレも馬車のなかに携帯用トイレを
持ち込んで行っていました。あまりにも長旅ばかり続くので、
他にする事がなかったので、モーツァルトとお父さんは
お互いのウンコを見せ合って健康状態を確認しあっていた
そうです。


その事もあって、シモネタなどに関してもまったく抵抗がない
性格になってしまい、曲のタイトルにも「僕のお尻をなめろ」
など下品な物も少なくありません。
モーツァルトは頭の中にすべての楽器が収納されていると言われ、
何も演奏せずにオーケストラの作曲が出来たそうです。
1783年オーストリアでの演奏会では5日という制限時間の中、
頭の中で作曲をしてオーケストラ全ての楽器の画幅を書き上げ、
5日後に楽団メンバーにその楽譜を渡して演奏の指導を
しただけで初演に挑んだという事もあります。そんな事情で
作られたと知らない客席からは大喝采で、その曲は現在も
「交響曲:第36番ハ長調リンツ」として演奏される曲に
なっています。


ピアノ演奏家としても天才と言われていたのですが、ある時、
高い音と低い音を同時に鳴らしつつ、中音域でメロディを
弾くという一人で演奏できない曲を作ってきたのですが、
どうやって演奏するんだ?という観衆の前でモーツァルトは
両手を広げ高い音と低い音を演奏し始め、いきなり顔をピアノ
に近づけて鼻で演奏を始めたそうです。モーツァルトは当時の
音楽会には堅苦しい作法がはびこっていたので「音楽に
ルールなんてないんだ、自由にやればいいのさ」と
アピールしたのです。

2014年10月28日 17:41

2時のうんちく劇場

10月28日  パンダ

1972年10月28日:中華人民共和国から日本に贈られたパンダ
「カンカン」と「ランラン」が上野動物園に到着。


この時の総理大臣だった田中角栄さんが中国との国交に
尽力し、その結果として中国からパンダがやって来たのです。
生きたぬいぐるみと言われるような愛くるしい姿に日本中で
パンダブームが巻き起こったのです。この時「日本初上陸」
みたいな事を言われていましたが、実はそれよりずっと前に
パンダが来ていたという記録があります。それは1329年前、
685年の事なのですが歴史書『日本書紀』の中に「唐の皇帝から
天武天皇に2頭の白黒の熊、それと毛皮70枚が贈られた」という
記録が残されているのです。おそらくパンダだと思われる
のですが、その二匹や毛皮がどうなったのかは不明です。


もともとパンダは中国で「熊猫:シュンマオ」と呼ばれて
いました。猫に全然似ていないのにこの名前なのは、
現在レッサーパンダと呼ばれるアライグマに似た動物に
付けられたモノで、後にパンダと呼ばれ始めた時に元から
知られていたパンダに「小さい」という意味のレッサー
と名付け、白黒の大きなほうにジャイアントと付けたのです。


パンダは白と黒の模様が絶妙のバランスで配置されています
が、尻尾は白です。ところが多くのぬいぐるみのパンダの
尻尾は黒で作られています。というのも日本に初めてパンダ
がやってきたのが1972年ですが、その半年ほど前から
パンダブームが起こっていて、メーカーがぬいぐるみ製造を
始めたのですが、正面からの写真が無かった事から想像で
黒にしてしまったのがキッカケです。最近は尻尾の白い
ぬいぐるみも増えて来ましたが、1986年に上野動物園で
初めて繁殖に成功した童童(トントン)が生まれた時に
「本当のデザインにしよう」と尻尾の白いぬいぐるみを
販売開始したのですが、運悪くトントンはパンダの中でも
珍しい尻尾の黒いパンダだったそうです。


パンダというと笹を主食にしているのが有名ですが、
それ以外に上野動物園ではサトウキビ・果実・おかゆ・
とうもろこしダンゴなども食事として与えています。
実はパンダは雑食性で、野生のパンダは川魚や野ネズミなども
食べ、中国の奥地にある農村では飼っているヤギや
ニワトリがパンダに食べられてしまう事件も起こるそうです。


パンダは絶滅の危機に瀕しているとされていますが、
その理由は環境問題など様々ありますが、最大のキッカケは
大きな声では言えませんが「なんでも料理にしちゃう中国人
が大量に食べてしまった」からだとも言われてます。
それ以外に昼間のラジオでは言いにくいことなのですが
「あまり性欲がない」と言うのもあるらしいです。
そのため中国の四川省にあるパンダ繁殖センターではお年頃に
なったオスのパンダには性教育として交尾をしているパンダの
ビデオを鑑賞させているそうです。

2014年10月27日 17:49

愛情運転パトロール

10月28日(火) みんなで事故を防ぐ心遣い

あるドライバーは、
同乗の高齢者がクルマから降りようとすると、
すかさず運転席を降りて
ドアを開けて 手をとって降ろしてあげる。

また 一方では、
クルマをバックさせる時、
同乗者が先に降りて まわりの安全確認をして、
ドライバーに「 オーライ ! 」と 声をかけてくれる。
    
事故は 走行中にだけ起こるわけではありません。
こんな 乗り降りの場面にも 危険は潜んでいるのです。

交通事故をなくすとは 注意をすること。
・・・ そう思います。
 
みんなで 事故を防ぐ心遣い。
交通安全は テクニックより ハートです。   
今日は この言葉を愛情運転の愛・言葉としておくります。

2014年10月27日 17:39

2時のうんちく劇場

10月27日  熊(クマ)

1858年10月27日:セオドア・ルーズベルト、
第26代アメリカ合衆国大統領の誕生日です。
このルーズベルトのニックネームは「テディ」で、森に
狩りに出かけた時に親からはぐれた小熊を助けて上げた
という逸話から、テディベアに名前を残しています。
ということで本日はクマについてのお話です。


クマという名前の語源は諸説あり、奥まったところに
いるからクマという説もありますが、「クマはクマッと鳴く
から」という物があります。実際にクマはちょっと高めの
可愛い声でクマックマックマッと鳴きます。


クマというとテディベアや、最近はクマもんなどかわいい
キャラクターが多いのですが、本物は獰猛な動物ですので、
童謡「森のくまさん」のように森の中で遭遇して逃げた
としても時速50キロほどのスピードで走る事が出来るので
逃げ切る事は出来ません。よく「死んだふりをすると
助かる」と言われますが、これはイソップ物語の
『熊と旅人』に書かれているエピソードで、実際には
死んだふりをしても無理です。


冬がやってくると野性動物の中には「冬眠」するものも
います。代表 的な例では絵本などでもよく書かれる
「クマの冬眠」がありますが、実 はクマがやっているのは
冬眠ではなく「冬ごもり」という物です。冬眠とは寒い時期
に体の機能を最低限に抑えて仮死状態になることで、
動物ではリスなどが冬眠をします。それに対してクマは
冬の間ただ眠っているだけなので、これは「冬ごもり」と
いいます。そのために秋の間に食いだめした物をお腹の中で
ゆっくり無駄なく消 化するために、松ヤニを大量に食べて
自主的に便秘状態にして、寝てい る間に糞をしないように
しています。そのため真冬でも空腹で目が覚めてしまった熊は
起き出して雪山でも 食糧を探しに出てきます。つまり冬山で
遭遇した熊はほぼ例外なく空腹 で気が立っているので
要注意なのです。


熊の中でも一番凶暴なのは子育て中の母親熊だとも言われて
います。 冬ごもりの最中に一頭から二頭の子供を産み、
それから約2年間付きっきりで生活のすべてを子供に教え込む
教育ママなのですが、ある時、子供から離れて行きます。
野生動物は大人になった時に子供のほうから独立していく
のですが、クマの場合は母親の方から離れていきます。
その方法とは、生活一式を教えた後、子供に木登りを覚えさせ
ます。そして子供が木に登り、その木の実を食べている間に
母親はそっとその場 から消え去って子離れをするそうです。


ちなみにクマというと、北海道土産の「木彫りのクマ」が
ありますが、あれは元々スイス土産を真似して作った物です。
大正時代にスイスに出かけた尾張徳川家の子孫・徳川義親
(よしちか)が木彫りのクマを見つけて「冬は何も仕事が
ない北海道の生産物になる」とサンプルとして数個購入して
持ち帰り、北海道八雲村の村人に作らせた物が最初なのです。

2014年10月27日 16:39

愛情運転パトロール

10月27日(月) かつてアッシーと呼ばれた男子は・・・

1990年代 アッシーと呼ばれた男子は、
いまは もう 絶滅してしまったのか?

それとも いまもどこかで 日夜 女子の足として
クルマで送り迎えしているのだろうか?

もし 今 生息しているとすれば、
あの頃より、
もっと女性たちから感謝される存在になっていると思う。
     
なぜなら、この21世紀の世知辛い時代に、
女性にとっては 自分のことを大切に 
安全運転で乗せてくれるのだから。
 
  
やっぱり 交通安全は テクニックより愛です。   
今日は この言葉を愛情運転の愛・言葉としておくります。

2014年10月24日 16:01

愛情運転パトロール

10月24日(金) 事故を減らす自転車乗りのマナー

最近は 自転車が関係する事故が多いといわれます。

その理由として 
自転車乗りのマナーの悪さを嘆くドライバーもたくさんいます。

もちろん 
自転車に乗る人のマナー向上を望みながらも
ドライバーとして 
自転車事故を減らす方法を考えてみたいですよね。

たとえば 自転車が多い 通学・通勤時間をさけて
クルマを走らせる。 
たとえば 自転車が多い道路をさける。

つまり クルマを運転する時、
できるだけ 自転車と出会わないような時間と道を選ぶのも
ひとつの方法だと思うのです。
 
そして これは 自転車だけでなく、 
ドライバーのためにもなるかもしれません。

さあ 自転車の交通安全、みんなで守りましょう。