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2014年4月

2014年4月30日 19:27

放送後記

4月30日(水) スタジオにらぶらじちゃん太巻きが!



今日の日替わり325では、行楽シーズンにぴったりの話題、「飾り巻き寿司」を紹介。
飾り巻き寿司インストラクターの松井亮子さんにスタジオにお越しいただきました。

まずは、松井さんが作って下さったすばらしい「飾り巻き寿司」作品!

太巻き一覧1.jpg





太巻き一覧.jpg

 

 

らぶらじちゃんやあんぱんまんも!

らぶらじちゃん太巻き.jpg


あんぱんまん太巻き.jpg


てつさんと玲子さんも挑戦!

2人も太巻き挑戦.jpg




初体験でとても上手にできあがりました。

(失敗してぐちゃぐちゃになるのを想像していたのに…)

包丁でカットして美しい絵が現れるとテンションが上がりますね。

 

てつさん完成.jpg




感動のあまり松井さんとのお写真を撮り忘れました。

松井さんは、とっても美しい素敵な奥様先生です。
長泉町で飾り巻き寿司「あかり」を営んでいらっしゃいます。
飾り巻き寿司教室や、出前教室もあるそうです。

 

(問い合わせ電話 055-943-5737)

 

ぜひ、みなさんも挑戦してみてくださいね♪

2014年4月30日 17:25

2時のうんちく劇場

4月30日  マーチ:行進曲

 


1900年4月30日
 神戸で行われた海軍の式典ではじめて「軍艦マーチ」が流れる


この曲の正式名称は「軍艦」というもので、元々は小学校唱歌として、
明治26年(1893)に作られたものです。その時は大人しい感じの
いかにも唱歌という曲だったのですが、それを明治30年頃に海軍の
楽隊で演奏しやすい曲にアレンジされたのが、
有名な軍艦マーチなのです。


以前もお話しましたが、この曲を終戦後に有楽町にあるパチンコ屋さん
が、進駐軍のアメリカ兵が多く訪れる事から「なめんなよ」
という気持ちで海軍で演奏されていた軍艦マーチを流したのが
キッカケで、パチンコ屋の定番曲となりました。


マーチという音楽のジャンル、日本語では行進曲と訳しますが、
マーチというと3月も英語でマーチです。行進曲と3月のマーチは
スペルも同じ「march」です。
語源は古代ローマの神様マルス「Mars」にあります。
マルスというのは戦いの神様ですが、軍隊が出陣する時、凱旋する時に、
勇ましく行進をしている時に流す曲として作られた事から、
マルスからマーチと名付けられました。
その古代ローマ時代は1年の終わりは2月で、3月から新年でした。
その新年になった事を祝い、戦いの神様マルスに「今年も一年、無事に
過ごせますように」という式典が多かったそうです。そこで3月の事も
マーチというようになったのです。


日本でマーチのヒット曲というと、水前寺清子さんの「三百六十五歩の
マーチ」が有名ですが、この曲の作曲をしたのは米山正夫さんで、
美空ひばりさんの『りんご追分け』や今年の3月で放送終了に
なってしまった「ヤン坊マー坊天気予報」のテーマ曲も作曲した方です。
実は「三百六十五歩のマーチ」がリリースされたのは1968年なのですが、
この年は閏年で366日ありました。でも大ヒットとなって、
翌年の高校野球の行進曲として、ほとんどアレンジし直すことなく
使われています。


「三百六十五歩のマーチ」は多くの方がカバーしている名曲ですが、
80年代半ば東京造形大学で結成されたチーターズというバンドが
パンクに編曲したカバーを歌っています。そのチーターズはその後、
名前をスピッツと変えてメジャーデビューを果たしています。

 

 

2014年4月29日 17:17

2時のうんちく劇場

4月29日  羊(ヒツジ)

 

4月29日は429から「羊肉(ようにく)」の日とされています。
ということでヒツジのお話です。


ちょうど今の季節がヒツジの毛を刈る季節ですが、大昔、
野生の羊は季節毎に毛が生え替わる普通の動物でした。
中国やモンゴルなどでは8000年ほど昔から飼育されていたという
記録があるそうですが、人間が品種改良を重ねて毛が生え
替わらないようになってしまったのです。


では人間が毛を刈らないとヒツジはどうなってしまうかというと、
延々と伸び放題になります。
2004年にニュージーランドの牧草地帯で、群れから離れて
たった一匹、6年間も岩場でひっそりと生活していたヒツジが
発見されています。
発見された時、そのヒツジは顔も足も見えないほどにモコモコに
伸び放題になった毛に覆われ、巨大な灰色の得体の知れない物体
になっていたそうで、発見された時はヒツジだとは思われなかった
そうです。
6年ぶりに刈られた羊毛は重さが27.5キロもあり、20着分のスーツが
作れるほどの量があったそうです。


ヨーロッパの漁師たちは羊毛で作ったセーターを愛用していた
のですが、羊の毛には多くの脂分が含まれている事から冷たい海に
落ちた時も水をはじいて心臓発作から身を守ったとされています。
イギリスなどでは羊毛産業が重要なものとして扱われていて、
1666年に出来た法律では「葬式の埋葬の歳に遺体を包むのは羊毛で
織った布にかぎる」という法律も出来ています。
この法律は1800年代まで200年ほど続いた法律です。
さらにイギリス人紳士を表す「ジェントルマン」という言葉の語源
ジェントリー「gently」というのは、もともと羊毛などで儲けた
広大な土地を持っている人々を意味する言葉から誕生した言葉
だそうです。


同じくモンゴルや中国などでも富の象徴として羊の数を誇っていた
時代があります。中国などでは羊毛だけでなく肉としての価値も
大きかったのですが、特に丸々と太った羊は素晴らしいという事で、
「羊」という漢字に「大きい」を重ねて「美しい」という漢字が
誕生しています。


ヨーロッパでは「眠れない時に羊を数えると眠くなる」といわれて
います。これは何度も何度も羊を意味する「シープ:sheep」と
発音していると、呼吸が安定してくるので眠くなる、とも言われて
いますが、もともとは「シープ:sheep」と「スリープ:sleep」が
関連づけられていると言われています。
つまり日本語で「ヒツジが一匹」と言うのは本当は無意味なのです。

 

 

2014年4月28日 19:00

キャスドラスクーピー

4月28日(月)日替わり325 スクーピー中継★

 

静岡市葵区紺屋町にある、静岡パルコへ★★

2階に出来た『ヒルフィガー デニム』へ!! フロア初のデニムブランドですよ~★

20140428 ヒルフィガーデニム (6).jpg

着せてもらって、モデルになった気分で♪♪お店の宣伝しちゃいま~~す!!

 

続きを見る »

2014年4月28日 17:09

2時のうんちく劇場

4月28日  ギャル系


4月28日は428で「渋谷」と読める事から、渋谷を中心に
ファッションなどを展開しているエイチジェイという会社が
制定した「渋谷ギャルの日」だそうです。


ギャルという単語は70年代にアメリカで最先端の女性を指す
言葉として使われ始めています。
最初は、1972年にアメリカのジーンズメーカー・ラングラーが
女性向けジーンズとして「Gals」という商品を発売したのが
最初とされています。
当時の雑誌などでも使われ、ラジオDJの草分け、糸居五郎さんも
「Hi, Go Go Goes On! 今ディスコティークのイカしたGAL達は
この曲にメロメロさ」などと使っていて、さらに沢田研二さんも
1979年に「OH! ギャル」という曲を歌っています。


90年代に入って最先端で派手な女性をギャルというようになり、
さらに90年代中期ぐらいからギャルより若いコギャル
という言葉が生まれ、さらに低年齢化したことからマゴギャル
なんて言葉も誕生しています。が、実はコギャルというのは
もともと高校生のギャルを意味している言葉だったので、
マゴギャルという言葉は間違いだったのです。


ギャル文化は90年代から色々広がって、言葉として
「MK5=マジで切れる5秒前」とか
「チョベリバ=超ベリーバッド」とかもありましたが、
定着したのは「超」という言葉と「イケメン」という言葉で
しょうか?
特に「イケメン」はすでに2008年に発行された広辞苑の第6版に
掲載されています。
その説明は「イケてる面」と解説されていますが、
実はこのイケメンという言葉が最初に使われたのはギャル雑誌
「egg」の1999年1月号で、考案したのは編集者の矢野智子さん
という方ですが、その時の雑誌には「イケメンとはイケてるメンズ」
男の子の事だと説明されていたので、広辞苑は間違いなんです。



ギャル系文化もそろそろ終わりなのではと言われていますが、

その系統の方々は、ヤンキー文化と同じように連綿と
生き残っていくと思います。

 

 

 

2014年4月24日 17:41

2時のうんちく劇場

4月24日  少女漫画

 


1963年04月24日:女性向け週刊漫画雑誌「週刊マーガレット」が
創刊されました。


この前の年に講談社が「週刊少女フレンド」を創刊していて、
女の子向け漫画雑誌がブームになっていきます。
週刊マーガレットからは「アタックNo.1」「コメットさん」
「さるとびエッちゃん」「ベルサイユのばら」「エースをねらえ」
などのヒット作品が沢山生みだされています。


初期の少女漫画はほとんど男性漫画家が描いていました。戦後から
しばらくの間、女性向け漫画は軽いコメディみたいな物が主流
でしたが、そこに物語を持ち込んだのが手塚治虫さんで、1953年に
「少女クラブ」で、自分の生まれ故郷にあった宝塚歌劇団を意識した
「リボンの騎士」を連載しています。
この「リボンの騎士」の中で手塚治虫は偉大なる発明をしています。
少女漫画にありがちな大きな目に星を散らしたのです。
このキラキラした目が話題となり、当時、手塚治虫に憧れていた
松本零士・赤塚不二夫などの新人漫画家が女の子向け漫画を
描くときに真似して、定番になっていったのです。

 

女性の漫画家のペンネームは宝塚並みのキラキラした名前も多い
のですが、単純に付けた方では「ハチミツとクローバー」を書いた
「羽海野チカ(うみのちか)」さんは、初めて出した同人誌の
タイトル『海の近くの遊園地』を短くして名前に付けています。


映画にもなった「NANA」を描いた「矢沢あい」さんは
矢沢永吉さんの熱狂的ファンだった事から苗字を
そのまま頂いています。


「カリフォルニア物語」や「バナナフィッシュ」などを書いた
「吉田秋生」さんの場合は、吉田は本名なのですが秋生は
デビュー当時に付き合っていた彼氏が考えてくれた名前だった
のですが、後に判明したのが秋生とは彼氏の元カノの名前だった
そうです。


大御所「萩尾望都」さんの名前は実は本名で、音楽好きなお父さんが
モーツァルトから連想して付けた名前だそうです。


ちなみに手塚治虫さんが目の中に星を描いたのは宝塚歌劇団の
イメージでしたが、宝塚歌劇団は1970年代に人気が低迷した時に
漫画原作の「ベルサイユのばら」を上演しています。
この時に舞台監督を務めたのが長谷川一夫さんで、リアリティより
徹底した「少女漫画を再現する」というキラキラな演出でブームを
巻き起こしているのです。この時、長谷川一夫さんは客席から見て、
目の中に星が見えるような証明にしろと指示しています。

 

 

 

2014年4月23日 17:24

2時のうんちく劇場

4月23日  伊勢神宮


1869年04月23日
明治天皇が歴代天皇で初めて伊勢神宮に参拝した日。


伊勢神宮は江戸時代には「一生に一度はお参りしたい場所」
として伊勢参りが大ブームになっていましたが、天皇は明治時代
になるまで1度も参拝していません。
伊勢神宮はもともと天皇家を祭っている由緒正しい神社で、
本来は皇族ですら近づいてはいけない神聖な場所でした。
もちろん一般庶民も近づいてはいけなかったのです。
しかし室町時代辺りから財政難になり庶民の参拝を許可する
ようになり、江戸時代には伊勢参りの大ブームになっていた
のですが、皇族だけは本来の神聖な場所への参拝しちゃダメを
守り通して、明治時代になるまで参拝が無かったのです。


皇族以外では僧侶も参拝してはいけない事になっていたのですが、
カツラを被れば大丈夫という事で、伊勢神宮の門前には
貸しカツラ屋があったそうです。


江戸時代、伊勢参りがブームになった頃、丁稚などの奉公人が
主人に何も告げずに「お伊勢様に呼ばれている」と無断で旅に
出てしまう事もありました。「抜け参り」と呼ばれる物なのですが、
これに関しては「呼ばれてしまった物はしょうがない」という事で、
お伊勢さんの御札を持って帰ってきた丁稚さんの事は何も聞かずに
迎え入れてあげなくてはいけなかったそうです。


伊勢神宮へ参拝するためには本来は「垢離(こり)を取る」という
作法があり、海に入って身を清めなければいけませんでしたが、
次第に略式になっていき海水の代わりに塩をふりかけるという物に
なりました。その事から塩は身を清める為に使われるようになります。
相撲というスポーツは本来、その年の収穫を占う神事から
始まっているのですが、そのために取り組み前に塩をまく作法も
出来ました。


伊勢神宮周辺の海はお供え物を採るための神聖な海という事で、
一般の漁師は入れない場所でした。そのために、あまり漁師が
いない事から魚や貝が大量にいる漁場になっていたのです。
その時に、平次という漁師がこの地域で密漁をして捕まります。
その時に「難病の母がいるので仕方がないのです」と言い訳を
していたのですが、余りにも目に余るので捕まって死刑になった
とされています。
その場所は津市の近くにある「阿漕:あこぎ」という村だったので
「強欲でやり方があくどい」事をあこぎと呼ぶようになったのです。

 

 

2014年4月22日 17:07

2時のうんちく劇場

4月22日   サザエさん:フネさんの謎

 


1946年4月22日:漫画「サザエさん」が夕刊フクニチで連載開始


サザエさんの連載は最初、福岡の地方新聞で始まり、その後
「朝日新聞」へ移動して全国的な人気になっています。
その朝日新聞での連載が始まる前の紹介文では「近所に越してきた
イソベです」と間違った名前が書かれ、さらに人物紹介でも
「タラちゃんという女の子がいる」と描かれています。


サザエさんは登場人物の年齢設定が意外と若くてビックリします。
まずサザエさんは24歳、マスオさんが28歳、マスオさんの同僚
アナゴさんは後輩でで27歳。そして波平さんが54歳で、
フネさんが52歳となっています。


そのお母さんのフネさんは原作では、焼津市にある石田家が実家
となっています。そしてお隣に住んでいるイササカ先生の奥さんと
女学校時代の同級生という事なので、イササカ先生の奥さんも
焼津市出身となっていました。
ところが今から5年前、2008年に放送されたサザエさん
放送40周年記念番組では、なぜかフネさんの実家が沼津にある
という設定に変更されていました。


カツオとワカメがフネさんの実家へ行くという話で、
場所は三津シーパラダイス付近にあるみかん農家という事でした。
本来ならば伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅で降りるのが一番近道
なのですが、なぜか無人駅の原木駅で降りたカツオとワカメが
知り合いになった和尚さんの車に乗って、江間にある狩野川放水路
を通ってフネさんの実家に向かっています。
フネさんが卒業した小学校は高台にあるという事で
恐らく内浦小学校。そして女学校は大仁高校だと思われます。


長く続いているサザエさんの世界なので色々と変更箇所が
あるのかもしれません。
原作では第二次世界大戦終了直後の段階でサザエさんが20歳前後
だったので、実際には今現在80歳を越えているハズで、波平さんも
軍隊経験があると語っていますが、終戦時にすでに50歳を越えて
いたので、参加したのは第二次世界大戦ではなく、満州事変あたり
の話みたいです。

 

 

2014年4月21日 17:06

2時のうんちく劇場

4月21日  カエル

 


1943年4月21日 ボクサーの輪島功一さんが誕生しています。
輪島さんの攻撃として低い体制から飛び上がるようにパンチを
繰り出す「カエル跳びパンチ」というものがあり、
それが輪島さんの代名詞にもなっています。
が、実はこのパンチはカルメロ・ボッシ戦で一回しかやって
いないワザです。という事でカエルの話題です。


カエルという名前の由来はトノサマガエルの鳴き声「ケロケーロ」
から「ケール→カエル」になったとされています。
カエルの一歩手前オタマジャクシの名前は、滋賀県にある多賀大社
で販売されている縁起物「お多賀じゃくし」というシャモジの形に
似ている事から来ていると言われます。


日本人は古くからカエルをユーモラスな生き物として捕らえていて、
鎌倉時代に描かれた鳥獣戯画でも描かれていますが、もっと古く
縄文土器にもカエルが描かれている物が出土しています。
カエルは土の中で冬眠をして春になると復活する事から、日本人は
古くから再生のシンボルとして考えていたみたいです。


ヨーロッパではあまり歓迎されない生き物ですが、フランス人は
「グルヌイユ」という名前でカエルを食材として考えています。
実はフランス料理の中ではカエル料理は魚料理に分類されて
いるそうです。
しかし、イギリス人はそんなフランス人を嫌っていてフランス人
のことを「蛙野郎(froggy)」と呼んでいます。


ちなみに日本では大型のカエルを食べる文化があり、明治時代に
日本へカレーが入ってきた時のレシピにも「鶏肉が手に入らない
ときはカエルの肉で代用すべし」と描かれていました。


蛙がキッカケになって考案された物に電池があります。
カエルは電気を通すと筋肉がピクと動く事から実験に
よく使われています。ある時、ガルバーニという科学者が
カミナリの実験をするために金属棒の先にカエルの脚を取り付けた
物を用意しました。
それをカミナリが落ちそうな場所に設置するため。別の金属で
金属棒を固定しようとした時、カミナリもないのにカエルの脚が
反応したのです。
そこから2種類の異なる金属を接触させると微弱な電流が発生する。
という事が判明し、それが電池の発明へと繋がっていくのです。


もっともガルバーニさんはカエルの脚が動いた事に驚いただけで、
その後、異なる金属を接触させる事で電気が発生する装置を
考案したのはボルタさんです。

 

 

2014年4月17日 17:37

2時のうんちく劇場

4月17日   恐竜

 

 

04月17日は「恐竜の日」です
91年前:1923年04月17日、アメリカの動物学者
ロイ・チャップマン・アンドリュースがゴビ砂漠へ研究のために
旅立った日ですが、その後の5年間の冒険で恐竜の卵の化石を
世界で初めて発見しています。


恐竜という総称はリチャード・オーウェンという学者が古い地層
から発見される骨から、怖い(DINO)トカゲ(SAURUS)
という意味で「DINOSAURUS:ダイノザウルス」と命名した事が
キッカケです。
実はこのリチャード・オーウェンは進化論を唱えていたダーウォンの
ライバルで、生物が環境の変化にあわせて進化して生き延びる
なんて事はないと考えていた人です。
だから絶滅してしまった恐竜に興味を持っていたのです。


進化して生き延びている恐竜という意味では、ワニが遺伝子を
引き継いでいると考えられています。ワニは胃の中に大量の石を
呑み込んでそれで食べたモノを細かくかみ砕くという事をして
いますが、実は恐竜も同じことをしていたそうです。見た目なども
大昔のままなので納得出来る進化なのです。


進化せず、今でも恐竜はそのままの形で生き延びている、
と考える人もいて、そう言う人たちによってネッシーなどの報告が
今でもされています。もっともネッシーに関しては最初の発見者で
写真を撮ったとされる方が、亡くなる直前に
「あれはトリック写真だった」と告白しています。
そのネッシーは湖を泳ぐ首長竜という事でした。そこから湖から
顔だけを出している首長竜のイラストがよく書かれますが、
最近の研究では恐竜の体の構造から水面に顔だけ出している状態
では息が出来なくなると言われているそうです。


1978年まで「日本には恐竜はいなかった」と言われていました。
とりあえず樺太周辺では恐竜の骨が出ていたのですが、本土では
発見されていなかったのです。しかし1978年に岩手県の茂師
という場所で白亜紀の地層から骨が発見されています。その後
日本各地で恐竜の骨が発見されるようになったのですが、
なぜ日本では発見されにくいのかというと、恐竜のいた時代、
日本はまだちゃんとした陸地ではなく沼地が多かったのと、
火山活動が盛んだったり、高温多湿で骨が風化してしまったのが
原因とされています。
ですから大昔、静岡周辺でも恐竜がのし歩いていた可能性も
あるのです。