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2013年10月

2013年10月31日 17:04

2時のうんちく劇場

10月31日   寿司

 


明日の11月1日は「全国すし商環境衛生同業組合連合会」
が制定した『すしの日』です
新米が出回り、海の幸が美味になる時期をという事で
11月1日が『すしの日』です


お寿司の元祖は「鮒寿司」のように発酵させた物で、
最初は「魚を発酵させた保存食」という魚がメイン。
米は発酵を促すために一緒につけ込むものとして、
最初は米は食べずに捨てていたそうです。その内、米も
一緒に食べるように工夫されて鮒寿司が完成されていきます。
実は江戸時代中期頃までは寿司というとこれでした。 


江戸時代後半、江戸っ子は「発酵するまで待ってられねえ」
「江戸は新鮮な魚を旬のまま食べるのが粋」という事で
炊いた米にお酢をまぜて食べる寿司が登場したそうですが、
当時、米で作るお酢は超高級品でした。


江戸後期、1804年に現在の愛知県半田市で酒屋を営んでいた
中野又左衛門が、大量に余る酒粕から酢を安く作る技術を
発明しています。この酒粕のお酢が江戸時に入ってきて、
華屋與兵衛(はなや・よへえ)という人物が、與兵衛ずし
としてにぎり寿司を現在の形に作り上げています。
そのお店が始まったのが文政年間、1824年なので、
時代劇でも出てくるにぎり寿司は江戸時代末期の25年間
ぐらいだそうです。ここから一気に江戸前の寿司文化が
発展していき、職人達が色々な調理法を考案していくのですが、
贅沢を禁止した天保の改革で多くの寿司職人が逮捕されて
います。その中に元祖江戸前寿司の華屋與兵衛もいましたが、
華屋與兵衛の逮捕理由はアナゴ寿司を考案した事となって
います。


寿司を数える時「貫」という単位を使いますが、この言葉の
由来に関しては諸説あって、明確な答えは出ていません。
実は江戸時代の文献の中では「貫」という単位は見あたらず、
明治時代に考案され昭和になって定着した数え方だと
されています。重さの単位にも「貫」がありますが、
これは3.75kgなのでちょっと重すぎます。当たり前のように
寿司用語として使われていますが、ちょっと謎の言葉なの
です。


お茶を「アガリ」と言います。これは元々、江戸時代の遊郭で
お客さんが来た時にまず最初にお茶を出す事から、お茶の事を
「上り花」と呼んでいた事が語源です。
同じように寿司屋の符丁でカンピョウを「きづ」と言います。
実はカンピョウの名産地が滋賀県にある木津という町だからです。
他にもシャコの事を「ガレージ」と言います。
これは意味わかりますよね。

 

 

2013年10月30日 16:57

2時のうんちく劇場

10月30日  西武ライオンズ

 


1982年10月30日:西武ライオンズが
1979年の創設から初めての日本一となりました。


西武ライオンズの前身は西鉄ライオンズですが、
この名称は1951年に公募で決まったもので「百獣の王」
として誰よりも強い名前として付けられています。
実はこの当時、映画「ターザン」が流行っていたことで
「ライオンより強いのはターザンだ!」ということで
「ターザンズ」という名前も候補に挙がっていたそうです。
その西鉄ライオンズは、1972年にゴルフ場がオーナーの
「太平洋クラブ・ライオンズ」、1976年に
「クラウンライター・ライオンズ」を経て、1978年に
西武のある埼玉県へと移転が決定しています。
実は1978年当時、タモリさんがネタとして埼玉県を
「ダサい玉」と田舎者扱いしていた事もあって、埼玉県の
印象があまりよくなく「球団職員で希望者は西武の
球団職員に雇用する」となっていたのですが「埼玉なんて
田舎に行くのはイヤだ」と一人の希望者も無かったそうです。
さらに選手の中にも「埼玉に行くのならば、どんな条件が
悪くてもいいから他へトレードで出してくれ」と宣言する
人もいたそうです。


1979年に西武ライオンズとなったのですが、一番の話題は
手塚治虫さんがデザインしたライオンズのマスコットです。
「ジャングル大帝」のキャラクターが使われていて、
一般的にはその主人公の名前をとって「レオマーク」と
呼ばれていますが、手塚治虫さんは「オーナーの堤義明さん
から大人になったレオを描いてくれと注文があったが、実は
あれはレオではなく父親のパンジャです」と語っていたそうです。


以前は西武ドームの西武ベンチ前にはレオマークがあり、
そこは踏んではいけないゾーンとされていましたが2008年から
マークが消え、同時期からグッズ関連からもレオが撤退を
始めています。どうやらそれまで独裁的だった西武の
堤オーナーが辞任した事から「堤オーナーの色がついたモノを
排除する」という流れからレオマークも脇に追いやられている
と言われています。現在では球団の旗に姿を残している状態です。


実は戦前にライオンズとはまったく関係ない「ライオン軍」
というプロ野球チームが存在しました。その後、そのチームは
松竹ロビンスなどを経て、太陽ホエールズと合併し、現在の
横浜DeNAベイスターズに引き継がれています。このライオン軍の
スポンサーだったのが歯磨きでお馴染みのライオンです。


戦前のライオン軍と、戦後の西鉄ライオンズはまったく関係ない
球団なのですが、1951年に西鉄ライオンズという球団名になった
時に、ライオン歯磨きが作詩ハトウハチロー、作曲藤山一郎で
応援歌を製作してプレゼントしています。この応援歌は
西武ライオンズになった時に使われなくなってしまったのですが、
最近のライオンズのイベントなどでは復活して使用されている
みたいです。

2013年10月29日 16:52

2時のうんちく劇場

10月29日  落書き

 


1939年10月29日:教育者で作家の多賀たかこサンが
誕生した日で、この方が高校教師時代に書いた
『はいすくーる落書』という本がベストセラーになり、
斉藤由貴さん主演でTVドラマにもなりました。
という事で本日は「落書き」に関してのお話です

落書きというと昔からの定番でトイレに卑猥な物を
書いたりするケースがありますが、実は平安時代の
トイレの移籍からも多数のオティンティンなどの絵が
出土されています。


もう一つ、定番の落書きと言えば「相合い傘」ですが、
これは戦国時代初期に登場した物らしく、来日した
宣教師が日本文化を紹介する文献で「男女を冷やかす
ために書かれる」と書かれています。江戸時代初期、
近松門左衛門の浄瑠璃の中にも相合い傘の落書きが登場
します。そして江戸城の中にも相合い傘の落書きが
書かれる事が多く「書いた犯人は名乗り出るように」
とおふれが何度も出されています。


落書きではエジプトのピラミッドの石にも刻まれていて、
当時の工事関係者が「近頃の若い者は」と刻んでいます。
コノ手の落書きから文献に残されていない過去が
見えてくる事があって、鹿児島の八幡陣社の屋根裏から
1559年にこの神社を建てていた大工さんが書いた落書き
が発見されていて、そこには「雇い主がケチで自分たち
だけ焼酎を飲んで、俺たちには全然くれない」と書いて
ありました。実はこの文章が、焼酎に関する最も古い
資料です。


フランスではボーイスカウトが「落書きを消そう」という
ボランティア活動をしていた事があるのですが、その
ボーイスカウトがメニエール洞窟の中にあった落書きを
消したそうです。その報告を聞いて考古学者達が慌てて
現地に駆けつけた所、1万五千年前に書かれた考古学的に
貴重な資料だったのです。実はこの壁画がフランス国内で
初めて見つかった壁画だったそうです。


新撰組の近藤勇も落書きマニアで、江戸から京都に
やって来た時、マーキングのように『会津藩新選組隊長
 近藤勇』と雨戸などに書き殴り、さらに勢い余って
『勤勉 努力 活動 発展』などと書いています。


子供がノートなどに書く落書きは自由な発想を育てる事が
あります。あのさかな君は小学校2年の時にノートに
ウルトラマンと巨大なタコが戦っている落書きを書いた
事がキッカケで、もっと上手にタコを書きたいと、千葉の
白浜に出かけ漁師さんが水揚げしたタコを見ている内に
他の魚にも興味を持って、あんな凄い人になったそうです。


ちなみに落書きというと暴走族ネタで「悪魔の爪(ツメ)」
と書くつもりで「悪魔の瓜(ウリ)と書いてしまったり
「呪い」と書くつもりで「祝い」と書いてしまったり.....
というものもあります。

 

 

2013年10月29日 11:46

2時のうんちく劇場

10月28日  企業などの名前


1978年10月28日:原宿に『ラフォーレ原宿』オープン

ラフォーレ(la foret)とはフランスで「森」を意味する
「foret」に定冠詞「la」を付けた物です。なぜ都会の
真ん中に「森」という場所を作ったのかというと、
多くのテナントが集まっているので「木が林になり森に
なったような場所」という説明もあるのですが、
実際にはラフォーレ原宿を展開している会社名が
「森ビル株式会社」だったからです。


現在は同じく森ビルグループが管理している会社に「パルコ」
があります。以前は西武百貨店のセゾングループが運営
していましたが、このパルコというのはイタリアの公園
・広場という意味の言葉です。ゆっくりくつろげる、
遊べる、楽しめる場所として考案された名前です。
もともとは百貨店ではなく、渋谷駅のステーションビル内の
商業スペースに付けられた名前がスタートだったそうです。


渋谷というと、109がありますが、この名前は経営している
東急グループから「とお・きゅう」で10・9→109になった
となっていますが、さらに営業時間も午前10時から夜9時まで
という意味も含まれています。


新宿には先日、来春3月で終了が発表された「笑っていいとも」
を放送しているスタジオ・アルタがありますが、このアルタ
というのは英語で音楽のジャンルにもある
「オルタナティブ:Alternative・新しく何かを生み出す」
という意味の言葉の略です。


喫茶店チェーン「銀座ルノアール」は銀座から始まった店の
ようなイメージですが、実は1号店は1957年に出来た四谷店
です。創業時にいつか銀座に店を出すぐらいに成長したい
という思いから銀座と付け、19世紀印象派画家ルノワールの
絵のように「輝く色彩、親しみやすい雰囲気」を目指して
命名したものです。


同じような理由で命名されたのが、たこやきチェーンの
「築地銀たこ」です。1997年の創業地は群馬県だったのですが、
新鮮な素材を使っているという事で「築地」と付け、さらに
将来銀座に店を出したい!という願いから「銀」と付けて
います。築地銀たこは2002年に築地に店を出していますが
2年ほどで撤退しています。しかし銀座のほうへは1999年に
店を出し、現在は銀座店が本店となっています。


ちなみにSBSのすぐ近くにあるアピタは、イタリア語で最先端
を意味する「アピス:apice」とポケットを意味する
「タスカ:tasca」を合成した言葉で「最先端の情報が
詰まっているポケット」という意味だそうです。

2013年10月24日 17:26

2時のうんちく劇場

10月24日  ナイアガラの滝

 

1901年10月24日:ナイアガラの滝を落ちた冒険者が史上初の
生還をした日です。


ナイアガラの滝の落差は51mで、日本にもそれ以上の滝は沢山
あるので高さ的にはそれほどでもありませんが水の量と横幅が
凄い事から観光地になっています。そのナイアガラから落ちる
という無謀な挑戦をしたアニー・エドソン・テイラーさんは、
もともと小学校教師をしていた女性で、挑戦をしたのが63歳の
誕生日です。女性というだけでなく、100年以上前の63歳なので、
今よりずっと高齢のイメージです。


彼女は自分が入る事ができるサイズで丈夫な樽を
オーダーメイドで作り、中にクッションとなるタイヤチューブ
に圧縮した空気を入れ、さらにペットの黒猫を抱き抱えて
ナイアガラから落ちています。落ちてから40分後に樽が
発見回収され、中から頭に少しケガをした彼女と猫が元気に
出てきて、拍手喝采、この無謀な試みは成功しています。
彼女がなぜナイアガラの滝から落ちようかと考えたのかと言うと、
単純に有名になってお金儲けしたいという事だったみたいです。


最初はそこそこの金額を稼げたみたいですが、マネージャー
だった男性が展示してあった樽を持ち運び逃げてしまった事から、
探偵をやとって樽を探し出すなんていう事件も起こっています。
その結果、貯まった貯金は探偵費用でほとんど消えてしまい、
そんなゴタゴタの間にナイアガラから生還という話題も
飽きられていて、ほとんど財産が残らなかったそうです。
亡くなるまでの20年間、ナイアガラ近くで観光客と一緒に
記念撮影をするという仕事で細々と生活をしていたそうです。


ナイアガラの滝では昔から多くの冒険家が富と名声を得たいと
無謀な挑戦をして命を絶っています。記録に残る最初の挑戦者は
1829年で、それ以降アニーさんを含め多くのひとがカプセルなど
を製作して落ちていますが、ほとんどが失敗に終わっています。
その中で奇跡中の奇跡が2003年と2009年、そのまんま飛び込んで
生還した人が二人います。この二人が富を得たのかは不明ですが、
現在は富を得るどころか、法律で滝落ちが禁止され、違反者には
1万ドルの罰金が科せられる事になっています。


ナイアガラという名前に関しては、もともとこの地域に
住んでいた民族の名前という説と、現地民の言葉で「二つに
分かれた土地」という意味という説があります。
現地の観光案内パンフレットなどには「雷鳴の轟く水」という
意味であると書かれているのですが、これに関してはどこから
出てきたのか根拠不明だと言われています。

 

 

2013年10月23日 17:25

2時のうんちく劇場

10月23日   鯉:コイ

 


2004年10月23日:新潟県中越地震が発生しました。この時、
甚大な被害を受けたのは山間の小さな村落、山古志村です。
現在はこの村は長岡市に編入合併されて消滅していますが、
震災の時は村に入る総ての交通網が遮断され陸の孤島
となっていました。


このニュースは海外でも報道され多くの人が経緯を
見守ったのですが、一部の海外マニアの間では「山古志」
という名前は有名でした。実は海外では錦鯉の事を「yamakoshi」
と呼ぶこともあり、錦鯉マニアの方々はこの震災でその地名が
出た事からビックリしていたそうです。実は錦鯉というのは
1784年に山古志村で飼育されていた鯉の突然変異で誕生した
品種なのです。


鯉は中国では滝登りをする事から出世を表す魚として尊ばれて
います。そして滝を登り切った鯉は竜になって天に昇って
いくと言われています。その滝の一番にあるのが「竜門」
というゲートで、その昇っていく滝を「登竜門」と言うのです。
この出世に繋がるという事から、子供の日にあげる鯉のぼり
になっていくのです。しかし滝を昇れずに途中で滝を
流れ落ちてしまう鯉もいて、そういう鯉は岩に頭をぶつけて
ケガをしてしまうのですが、そこから傷のついた額という意味の
「点額:てんがく」というのは試験に落ちるという意味です。


鯉には胃袋がありません、その事から食いだめが出来ずに、
四六時中餌を探し回らなければいけません。そして胃袋がない
代わりの消化を助けるために、タニシなどを呑み込んだ時は、
喉の奥に3列に並んだ咽頭歯(いんとうし)という臼状の歯で
バリバリと細かくかみ砕いて吸収しやすくします。実験では
10円玉程度はかみ砕いてしまうそうです。


江戸時代、普通の食事のさいに鯉は焼いて食べてはいけない
というルールがありました。実は武士が切腹する時、
その直前の食事に焼いた鯉を食べるという風習があった
ことから、通常の食事ではタブーとされていたそうです。


鯉というと広島東洋カープの球団名になっていますが、
なぜ《カープ:鯉》なのか?と言うと、広島城の堀には
鯉が多く生息していたため別名が《鯉城:りじょう》
だったのが理由だそうです。実は最初球団の名称は『カープス』
として発表されたが、某大学教授の「鯉:カープ」と言う単語
は複数になっても「S」が付かない、との指摘で慌てて
『カープ』に替えています。実は『カープス』と書かれた
ユニフォームの見本などは完成していました。でも実は球団名
などの場合は複数形にしない名前もSを付ける慣習があるので、
カープスでも問題なかったのです。
(メジャーのマリーンズなど)

 

 

 

2013年10月22日 18:00

キャスドラスクーピー

10月22日(火)フォトセラピスト 庄司さん

 

 

 

富士市に住んでいるフォトジャーナリストの庄司博彦さんに会いに行きました。

この方は、フォトセラピーで被災地の子供たちの心の復興を支援しています。

インスタントカメラを1つ渡して、『平和』をテーマに写真を撮ってもらいます。

続きを見る »

2013年10月22日 17:29

2時のうんちく劇場

10月22日  リンゴ

 


1933年10月22日、早稲田と慶応の野球部による伝統の早慶戦で
試合のジャッジに対し、観客席から色々なものが球場に
投げ込まれる騒ぎになった時、慶応大学の水原コーチが
その中にあったリンゴを早稲田側の客席に投げ込んだ事から
応援団が球場に雪崩れ込んで大乱闘になったという事件が
ありました。この事件の事を「リンゴ事件」と呼んでいます。
という事で本日はリンゴについてのお話です。


リンゴを漢字で書くとリンは「林」ですが、ゴはちょっと難しい
文字です「檎」。この「檎」という文字、木偏で右側の旁は、
獰猛な鳥を意味する「猛禽類」とかペットの鳥を意味する「家禽」
に使われている漢字で「鳥」という意味です。これは果実が
甘くて鳥が好むので、林檎の生えている林には沢山の鳥が集まって
いるという意味で考え出された漢字表記で、元々中国で「リンゴウ」
と呼んでいた物がそのまま日本に入ってきた外来語だったのです。


英語のAppleというのは1100年頃まで果実の総称として使われて
いたそうです。例えばバナナは天国の果実という意味で
「apple of paradis」などと言われていました。今でもその名残が
あるのが「松ぼっくりみたいな果実」という意味の
「パイナップル:pine-apple」です。その後、小さい果実をberry、
堅い木の実をnutsと呼ぶように単語が分かれていって、Appleが
次第に果実の代表、リンゴだけを指すようになったそうです。
そのことから誤解が広まってしまったのが、旧約聖書にある禁断の
果実です。原書に「apple」と書かれている事から直訳で
「エデンの園に生えていたリンゴ」となっていますが、実際には
特定の果実ではなかったのです。最近の研究ではエデンの園は
裸でいても寒くない場所だったので、アソコに生えていたのは
リンゴではなく、ザクロである、イチジクである、などと言われて
います。


飲み物で「サイダー」という物がありますが、実は英語では
「リンゴで作った果実酒」の事をサイダーと言います。ですから
日本のノンアルコールの飲み物はサイダーではないのです。
これというのは明治時代にラムネがブームになった時に、横浜の
秋元巳之介という方がリンゴのフレーバーを付けた高級なラムネを
発売した際に「サイダー」と名付けた事がキッカケです。その後、
リンゴフレーバーなしのサイダーも発売され、本来とはまったく
違う物になってしまったのです。


ちなみにリンゴというと万有引力を発見したニュートンの逸話が
有名ですが、あの話は大げさに脚色されていますが事実です。
実は東京・小石川植物園にはその万有引力の法則を考え出す
キッカケになったリンゴの子孫が移植されています。受験生が
御利益を求めて触り来ることでも一部で有名なのですが、そこに
あるのは「落ちた」リンゴの木の子孫です。

 

 

2013年10月22日 17:27

2時のうんちく劇場

10月21日  江戸川乱歩

 


1894年10月21日・この日、明智小五郎・怪人二十面相を
考え出した小説家・江戸川乱歩が誕生しています。


日本の推理小説の祖とも言われる江戸川乱歩の名前は
エドガー・アラン・ポーをもじった物で、この名前を
本人はよく出来た名前だと気に入っていたそうです。
ところが、小説家としてそこそこ成功した頃、
それよりもっと前に「江戸川乱歩」と言う名前を使って
文章を書いている人がいたことが判明しています。
その事を聞かされた江戸川乱歩はしばらくの間、かなり
不機嫌だったそうです。


江戸川乱歩の明智小五郎シリーズの中に昭和5年に書かれた
『黄金仮面』という作品があります。実はこの作品の中
にアルセーヌ・ルパンが登場してきます。当時は著作権
などが緩い時代という事もあって、海外で書かれた小説を
勝手に舞台を日本にして書いてしまうなど多くありましたが、
この作品もルパンの作者のモーリス・ルブランへの許可は
無しで勝手に出演させています。さらにルパンが原作では
絶対やらない殺人を犯してしまい明智小五郎に逮捕される
という内容になっています。そしてこの『黄金仮面』に
登場するヒロインの名前は「不二子ちゃん」です。明智小五郎
シリーズは思った以上の人気が出てしまい、終わる事が
出来なくなってしまい戦前の昭和11年に書き始め、戦争を
挟んで26年後の昭和37年まで続いています。江戸川乱歩は
時代が変化しているのに主人公達が変化しないのは変だと考え、
昭和24年に書いた「青銅の魔人」という作品から
二代目明智小五郎が登場しています。その正体はかつて弟子を
していた小林少年だそうです。さらに小林少年も二代目三代目
が登場し、怪人二十面相もいつの間にか二代目に代替わり
しています。


江戸川乱歩は「新青年」という雑誌に連載をしていましたが、
この雑誌の編集長が横溝正史でした。ある時、江戸川乱歩の筆が
全然進まないスランプに陥ってしまったのですが、横溝正史は
雑誌に穴を開けるわけにはいないと、自ら江戸川乱歩の文章を
真似して小説を1本書き上げ「先生、無礼は承知なのですが、
この作品を先生の名前で掲載していけませんでしょうか?」と
提案をしました。その時、江戸川乱歩はトイレに立ち、
戻ってきた時「実は出来上がっていたのだが、イマイチ自信が
なかった。君の作品は非常によい作品なので、それを掲載して
ほしい。私の作品は今トイレに流してきた」と言い放ちます。
そして江戸川乱歩の名義で雑誌に掲載され、その後も2本ほど
江戸川乱歩名義で発表された横溝正史作品があります(もちろん
現在は横溝正史名義に治っています)


ちなみに名探偵・明智小五郎の名前は、明智光秀と桂小五郎の
2人の名前を組み合わせたとも言われていますが、明智光秀には
死なずに生き延びたという伝説があり、その時に名乗ったのが
荒深小五郎だったと言われているので、そこから来ている
という説もあります。

 

 

2013年10月17日 18:32

2時のうんちく劇場

10月17日   カラオケ

 


本日は「全国カラオケ事業者協会」の創設された日で
「カラオケの日」となっています。
実は他に1月19日が、NHKの制定した「カラオケの日」、
毎年9月第2土曜日は文部省が提唱した「ファミリーカラオケの日」
になっています。


カラオケというのは今は一般用語になっていますが、元々は
音楽業界の専門用語でした。
コンサートやイベントなどで、楽団を準備出来ない場合は事前に
録音してある演奏テープを流しで歌手が歌う事がありますが、
その時の演奏を「ボーカルの入っていない演奏」
「空のオーケストラ」としてカラオケと呼んでいた物です。
かつて歌手の大貫妙子さんがHEY HEY HEYに出演した時に司会の
ダウンタウンに「大貫さんは普段カラオケとか行きはるんですか?」
と質問をした時に、大貫妙子さんは「普段はやらないんですけど、
今日始めてカラオケで歌います」と、その日のステージは演奏した
フリでテープを使うという事を暴露してしまいました。
実はその時、横に座っていた坂本龍一さんは苦笑いをしていましたが、
坂本龍一さんも演奏しているフリの出演だったみたいです。


カラオケの発明者として昔からよく言われているのは大阪でギターの
流しをやっていた井上大佑さんの話です。昔は酒場には流しという
ギター弾きがいて、リクエストの曲を弾いてそれにあわせて歌うと
言う事が行われていたのですが、ある時お得意にしてくれていた
会社の社長が「社員旅行の時には無伴奏で歌うので物足りない」
と喋っていたのを聞いて、井上さんは演奏を録音したテープを作り
バスの中で流した、というのがカラオケの始まりとされていました。
最近の研究ではそれより前に同じような事をやっていた方がいた
そうで、おそらく同時期に別々の場所で同じ事を考えていた人が
いたという感じだったのかもしれません。ちなみに井上さんが社長の
ために録音したカラオケ1曲目はフランク永井の『羽田発7時50分』
と言う曲だそうです。


イメージ映像入りカラオケの画面には携帯電話は登場しないように
考えられているそうです。というのも、携帯電話の進化の速度が
速すぎて、最新機種を映像に使ってもすぐに過去機種を使っている
古臭い映像になってしまうからだそうです。


カラオケを全力で歌うとかなり疲れますが、第一興商が2011年に
発表したカラオケで歌うとカロリーを最も消費する曲は、湘南乃風
『睡蓮花』で21.3kcalを消費する。これは約10分ほどウォーキングを
したのと同じ消費量だそうです。湘南乃風の曲は全体的にカロリーを
使う物が多く、次にコブクロの曲もカロリー消費が多いそうです。