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2013年4月

2013年4月30日 17:19

2時のうんちく劇場

4月30日   記号の由来

 

1986年04月30日。
現在、テレビ小説でお母さん役を演じている小泉今日子さん
がバリバリのアイドル時代にシングル「100%男女交際」
という曲をリリースした日です。


そこに出てくる「%」という記号、丸に斜め棒に丸を書いて
パーセントの意味ですが、これは元々イタリア語のper cento
(ペル チェント) という言葉が元もなって出来た物です。
チェント(cento)が100という意味で、ペル(per)が~と比べて
という意味。100と比べた時に幾つかという意味の言葉で、
それを英語読みした物がパーセントなのです。これの略称が
pcだったのですが、pcを走り書きしている内に現在の%の形
になったと言われています。


同じように記号で複数の物を一緒に表す「and:&」が
あります。あの記号の正しい読みはアンパーサンド(Ampersand)
というそうですが、これは元々古代ローマ時代にandと同じ意味
で「et」という言葉があって、それの略された物がandの記号
なのです。この記号はよく使われるという事で、18世紀頃まで
27番目のアルファベットとして数えられていた事も
あったそうです。


よく見掛ける記号ではオスメスを表す記号もあります。オスは
「○の上に矢印:♂」メスは「○の下に十字:♀」という事で、
♂マークを見てエッチな意味と思ってしまう方も多いと
思いますが、それは誤解です。このマークが最初に使われた
とされているのはローマ神話の火星を表す男の神様マルスと
金星を表す女性の神様ヴィーナスで、戦いの神であるマルスが
持っている楯とヤリを表したのが♂のマーク、美の神である
ヴィーナスが持っている手鏡を表したのが♀のマークなのです。
お金を表すマークで、ドルは「Sに縦に2本線:$」ポンドは
「Lに横2本線:£」ユーロは「Eに横に2本線」そして円は
「Yに横2本線:¥」です。もっとも古いのはポンドマーク
ですが、これは大昔ポンドではなくリブラという単位だった時代
に作られた物でLの文字が使われていて、そこに商業で使われる
という事で天秤棒を意味する横棒が入った物だとされています。
それ以外のお金を表す記号は真似して2本線を入れたみたいです
が、後付けで色々理由を付けられています。


ドルがSなのは、もともとアメリカ大陸で最初に流通したのが
スペインのお金だった事からSが使われているそうですが、
2本線に関しては「地中海と大西洋を結ぶジブラルタル海峡に
ある岩を表している」というよく解らない由来が考えられて
います。日本の¥の場合、エンをアルファベット表記する時に
「EN」と書くと西洋人は「イェン」と読んでしまう事から
「YEN」としたYで、横2本線は「日本人の心、サムライの
大小2本の刀」と説明された事もあるのですが、実際には
ポンドやドルを真似しただけです。ユーロの場合は完全に他に
従ったという事なのですが、本来はヨーロッパの頭文字「E」に
横2本だったハズなのですが、Eの真ん中にある横棒とそれが
重なってしまう事から、デザイン的に「C」に横2本に
なっています。

2013年4月30日 17:16

情報五つ星

4月30日  脳波で動く猫耳 !?

 今日は脳波や心拍などの生体信号を用いた商品などを
手掛けている、ニューロウェアの中野かなさんにお話を
伺いました。

今日紹介した商品は「necomimi(ねこみみ)」と
いうもので、つけている人の脳波を検知して、猫耳が
(たってる、垂れてる、回ってる)などの動きを
する装置です。

集中している、リラックスしているなどが、意志と
関係なく表れるので、新しいコミュニケーションツール
として注目です。

 

RIMG0531.jpg

 

興味のある方は、「necomimi」で検索してみて
下さいね。

2013年4月29日 16:25

2時のうんちく劇場

4月29日   昭和

 

本日は「昭和の日」という事で、もともとこの日は
昭和天皇の誕生日だったので昭和時代は「天皇誕生日」
となっていました。昭和天皇が崩御された後、
「天皇誕生日」は現在の今上天皇の誕生日12月23日に
なりました。本来ならば4月29日は普通の日になるハズ
だったのですが、そうなるとゴールデンウィークという
大型連休の規模が縮小され、レジャー産業など経済的に
打撃が出てくると言うことで、別の名前の祝日に
しましょうという議論が起こって、平成元年(1989)から
「みどりの日」となったのです。それから18年後の
2007年に「やっぱり昭和天皇に関係した日なので
『昭和の日』が良いよね」と言うことになって名前を
変えて、定着していた「みどりの日」は5月4日に
移動したのです。

 

この昭和という時代、気が付いたらすでに25年、
四半世紀も昔の話です。昭和は歴代の元号の中で
もっとも長く続いた元号で64年まであります。2番目に
長いのが明治時代の45年間、3番目が室町時代の金閣寺が
建てられた当時の応永で35年間なので、64年というのは
断トツに長いのです。と言っても昭和元年は12月25日から
始まったのでたった1週間しかありません。同じように
昭和の最後の年、昭和64年も1月7日までなので1週間
しかありませんでした。つまり昭和は64年あるのですが、
実質的には62年と2週間しかありません。


この昭和と共に誕生した有名人が2名いまして、ひとりは
植木等さんで、もうひとりはバカボンパパです。
植木等さんは実家がお寺なのですが、年も押し詰まった
12月25日、しかも大正天皇が亡くなったゴタゴタの中で
産まれ、さらにお寺と言うことで正月も大忙しだった事から、
2ヶ月間も出生届を出すのを忘れ、戸籍上の誕生日は
翌年の2月25日になっています。


バカボンパパの方はちゃんとした日付は語っていない
のですが、自分の誕生日に関して「クリスマスのお正月
なのだ」と語っていた事から、クリスマスの12月23日に
昭和が始まっている、ある意味元日・お正月と言うことで
「クリスマスのお正月」が昭和元年の12月25日と
なっています。バカボンパパはアニメの中で
「41歳の春なのだ」と歌われていますが、これは漫画連載
が始まった昭和42年に41歳だったという意味なのです。


この昭和という時代が始まる際、年号が昭和に決定した時、
皇室の会議室から新聞社に(当時はメールなどもなかった
ので)電話で「昭和という年号に決まりました」と記者が
報告したのですが、実はこの時代には昭和の「昭」という
文字が意外な事にほとんど使われていなかった漢字だった
のです。その為に「ショウワのショウは正直者のショウか?」
「いえ、日へんに刀口を書く昭です」と記者が答えた所、
編集部から「そんな漢字がある物か、間違った文字を
教えるな」と怒鳴られたというエピソードが残っているほど、
あまり使われていない漢字だったそうです。それでも昭和に
なった途端、その年にもっとも子供の名前に多かったのが
「昭・昭太郎・昭子」など「昭」の文字を使う名前だった
そうです。

 

 

 

 

2013年4月29日 12:32

お知らせ

4月29日(月)~5月2日(木) フレンチレストラン『ムッシュモイズミ』の「静岡三昧大人のしっとりショコラ・三種セット」をプレゼント

 
番組にいただいた、メール、FAX、電話でいただいた
メッセージの中から抽選でお1人の方に、
静岡の老舗フレンチレストラン「ムッシュモイズミ」の人気
スイーツ『静岡三昧 大人のしっとりショコラ』3種類の味
(静岡抹茶・駿河湾産桜えび・三ヶ日みかん)をセットにして
プレゼントします。

ムッシュモイズミ.jpg

 


「静岡三昧 大人のしっとりショコラ」は老舗フレンチ
レストランが開発した、焼き菓子なのに、まるで生チョコの
ように口の中でとろける新食感のスイーツです。
上質なクーベルチュールチョコレートと、静岡の素材が
織りなすハーモニーが楽しめます。


こちらの商品は、東名日本坂下りSAやムッシュモイズミの店舗
で買うことができます。ひとつひとつ手作りのため、
モイズミでの購入の場合は事前予約が必要です。

詳しくは、ムッシュモイズミまでお問い合わせください。
     (電話/ 054-247-1338)

 

★3日(金)は公開生放送のためスペシャルプレゼントになります。

2013年4月26日 16:52

情報五つ星

4月26日  おすすめ映画情報

 

今日は勝山さんおススメの映画を紹介しました。


『王立宇宙軍 オネアミスの翼』


監督 :山賀博之
配給 :東宝東和

制作 :ガイナックス(製作費8億円)
概要 :王立宇宙軍という軍隊が宇宙戦艦という名目の
    人類初の有人人工衛星打ち上げ計画を行う話

レンタルDVDがなかなか見つからないようですが、
勝山さんイチオシの作品です。
ゴールデンウィークに時間のある方は是非、
探してみて下さいね。

2013年4月25日 17:10

情報五つ星

4月25日  日本一周方言の旅『徳島県編』


第28回の今日は「徳島県」です。

徳島県といえば「鳴門のうずしお」が有名ですが、今日はその
うずしおが見られるホテル、徳島県鳴門市にあります
『ベイリゾートホテル 鳴門海月」の福井輝仁さんにお電話で
お話を伺いました。


今の時期は鳴門の潮にもまれた鯛がとてもおいしいそうですよ。
徳島が生んだ有名人といえば、
坂東英二さんやアンジェラアキさん。
お遍路さんの1番~88番のうち、1番が徳島にあるという
ことで、徳島はおもてなしがしっかりしていて、おせっかいな
人が多いことが特徴だそうです。

 

『徳島弁講座』

≪初級編≫

● ~じょ  = ~なんだよ
 (例)あんなぁ、今日動物園行ったんじょ

● かー   = 頂戴、ください
 (例)おばちゃん、あんまん3つかー

● がーす  = ~でございます 

 


≪中級編≫

● あばばい = まぶしい (例)太陽があばばい

● おちんこま= 座る事

 


≪上級編≫

● しわしわ = ゆっくり、少しずつ
  (例)おまえ、しわしわ歩いてるんじゃない。

 


≪いつもの台詞≫

「私は 玲子さんのこと ごっつい好きなんじょ」


鳴門海峡を一望できる、ロケーションが自慢の
「ベイリゾートホテル 鳴門海月」でおいしい海の幸を
味わってみたいですね。ぜひ、徳島にお出かけの際は
足をのばしてみてください。

 

 

2013年4月25日 16:59

2時のうんちく劇場

4月25日   徳川家康

 

405年前:1608年04月25日:徳川家康が征夷大将軍を引退して
駿府城に移り住んだ日です。


この時、徳川家康は65歳でしたが、それから75歳で亡くなるまで
駿府で過ごしています。徳川家康は今の愛知県で
生まれていますが、7歳の時に今川家の人質として駿河に
やってきます。ここで7歳から18歳という一番多感な時代を
過ごしています。その後、地元に戻るのですが、28歳で浜松城の
城主となって、44歳で駿府城に移り、48歳に江戸城に引っ越しを
しています。つまり、7歳から18歳までの少年期、そして28歳から
48歳の働き盛り、そして晩年の65歳から75歳まで、
75年の生涯の内半分以上の45年間を静岡県内で過ごしている
のです。ちなみに徳川家康というと初代将軍となっていますが、
1603年に征夷大将軍に任命されていますが、2年後の1605年に
息子に位を譲って、5年ほど江戸で「元将軍」として暮らして
いました。つまり将軍としては2年しか務めていません。


徳川という漢字、誰も知っていると思いますが、実は本当の
徳川家の「徳」はちょっと違っています。一般的には「行人偏」
に「十」「四」で「心」と書きますが、本当の徳川家の「徳」は
「四」の下に横棒が入ります。パソコンなどでは出力出来ない
のでしょうがないのですが、徳川慶喜の子孫で作家をしている
徳川宗英(むねふさ)さんは正式な書類なのでこの文字を書くと
「本当の子孫なのか?」と疑われてしまうそうです。


その徳川宗英さんへの年賀状、500通の中、たった4通だけが
正しい漢字を使っていたそうです。
徳川家康は別名としてタヌキとも言われますが、これは体型から
だけでなく、相手を煙に播く事も多かったからだとされています。
ある時は領内で寺院が中心になって一向一揆が起こった時に
「首謀者を許す、寺院も前の状態に戻すから」と平和協定を
結んだのですが、相手が気を抜いた時にいきなり寺院を破壊して
しまったそうです。「約束が違う」と抵抗をした相手に対し
「寺院が出来る前の野原に戻しているのだ」と言い放った
とされています。


一時期「徳川家康の死因は天ぷらである」と言われていた事が
ありますが、実際には胃癌だったみたいです。でも亡くなる
少し前に趣味の鷹狩りに出かけた時に、現在の藤枝で「京都では
魚を揚げた料理が流行っている」と言うことで、天ぷらを
食べています。現在の衣がついた天ぷらではなく、魚の素揚げ
だったみたいですが、鯛の天ぷらを鯛料理に食べ、その夜腹痛を
訴えています。そして三ヶ月後に帰らぬ人となっています。


家康は75歳まで長生きしましたが、徳川将軍の中で70歳を越えた
のは初代の家康と、最後の将軍慶喜だけです。そして慶喜も将軍
の在位期間はたった2年だけです。

2013年4月24日 17:50

2時のうんちく劇場

4月24日   不吉な赤


71年前:1942年04月24日:作家で『赤毛のアン』の作者
ルーシー・M・モンゴメリーさんが67歳で亡くなった日です。


日本では「赤毛のアン」というタイトルで知られていますが、
元々のタイトルは「グリーンゲイブルズの
アン(Anne of Green Gables)」で「緑色の屋根の家に
住んでいるアン」という物です。最初に翻訳された時、
翻訳者の村岡花子さんは「窓辺に倚(よ)る少女」という
タイトルを予定していたのですが、編集者が「主人公の
印象が弱い」という事で「赤毛のアン」というタイトルを
考案しました。村岡花子さんはあまり気に入っていなかった
みたいです。直前になってこのタイトルになった事や、
表紙イラストを描いた人が内容をほとんど知らずに描いた為
に日本初翻訳の「赤毛のアン」の金髪イラストは金髪でした。


赤毛のアンは髪の毛が赤いという設定ですが、それによって
イジメにあったり苦労します。同じ時代にフランスの
ジュール・ルナールが描いた小説「にんじん」にも髪の毛が
赤い少年が出て来てイジメられています。実は赤毛
というのは西洋では不幸の象徴とされ「火のように周囲に
災いをもたらす性格」と嫌われていたそうで、それが小説の
キッカケになっています。実は聖書の中で赤を「罪悪の色」
としているのがキッカケではないかとされています。
これがさらに西洋では手紙を赤いインクで書くと「絶交」の
意味になるとされています。フランスなどでは「赤は死を
呼び、緑は不幸を招く」と言う言い伝えがあって、赤だけで
なく、緑のインクも手紙に使ってはいけないとされています。


日本では赤い文字で手紙を書いても「読みにくい」とか
「常識的ではない」程度の感じですが、名前を赤で書いては
イケナイと去れています。基本的に日本では赤はめでたい
ときの象徴なのですが、なぜ名前だけはダメなのかというと
諸説ありますが、墓石を作る時に名前部分には普通、黒い墨
を入れるのですが、生きている内に自分で自分のお墓を
建てるのは縁起が良いという考えもあって、その場合、
まだ生きている人の名前には朱色を入れておき、亡くなった
時に墨を入れるという方式をとっています。
本来は赤い名前は生きている証だったのですが「もう少しで
そっちに行く」という意思表示だと言う事から縁起でもない
となったという説があります。他には果たし状は赤い文字で
書いていた事からという説もあります。それに明治時代以降は、
会計帳簿などを付けるときに不足した額を目立つように
赤い文字で書き記す「赤字」というマイナスイメージがついて
「赤い文字は縁起でもない」となっていったのです。

2013年4月24日 17:28

情報五つ星

4月24日   沖縄の「マジムン」

 
今日は、沖縄の話題でした。
同じ日本ですが、文化や生活習慣などの違いが多く、
とっても奥が深い沖縄県。
私達が知らない魅力のひとつに「沖縄には神様が多く存在する」
ということがあるそうです。

お話を、沖縄生まれで、沖縄の神様や沖縄に存在する、妖怪・
妖精・幽霊に大変詳しい比嘉淳子さんに伺いました。

ちなみに今日は旧暦の3月15日なので、火の神様(ヒヌカン)
にお供えをしてお祈りをする日だそうです。

他にも門の神様やトイレの神様(フールヌカミ)など、
こんな時はこの神様にお願いするということを沖縄の人は
みんな行っているんです。

 

RIMG0529.jpg

 

沖縄の神様、マジムンは、人の暮らしと密接にかかわっていて、
沖縄の人たちは、その御利益を信じたり、マジムンを怒らせる
ことを恐れたりしながら生活送っているようです。

主婦の友社から販売されている、比嘉さんの著書
「沖縄マジムン図鑑」には、色々なマジムン、
(神様・妖怪・妖精・幽霊) がたくさん登場します。
イラストや詳しい解説がとても楽しいのでぜひ、
手に取ってみてくださいね。

 

2013年4月23日 17:24

2時のうんちく劇場

4月23日  伊勢神宮


144年前:1869年04月23日
明治天皇が歴代天皇で初めて伊勢神宮に参拝した日。


この時、明治政府により伊勢神宮は「皇室の祖先とされる
天照大神を祀り、歴代天皇を祀った神社」とされています。
古事記などに書かれている、アマテラスが天の岩戸から
出てくる時に使われた鏡が奉納されていて、これが三種の
神器の1つとされています。


同じように歴史の古い出雲大社は「天照大神の弟スサノオ
から連なる大国主命を祀った神社」という事で、似ています
が系列が違う神社です。


伊勢神宮は大昔は参拝前に海に入って身を清める「垢離
(こり)を取る」という作法がありました。その後、
略された行為として海草を体の周りで振り回し、磯の香りを
身にまとうようになっていきます。海水に含まれる「塩」が
悪いものや不浄なものを払う神聖なものとして、さらに
略されて塩で身を清めるという作法になっていきます。
相撲というのも元々勝敗によってその年の収穫を占うという
神事から始まっているので、土俵という神聖な場所にあがる
前に塩をまくのです。


伊勢神宮周辺の海岸はお供え物を採るための神聖な場所として
一般の漁師は入れない禁漁区になっていました。そのために、
あまり漁師がいない事から魚や貝が大量にいる漁場に
なっていたのです。その時に、平次という漁師が毎晩のように
この地域で密漁を行っていました。「難病の母がいるので
仕方がない」と言い訳をしていたのですが、余りにも目に余る
ので捕まって死刑になったとされています。その場所は
津市の近くにある「阿漕:あこぎ」という村だったので
「強欲でやり方があくどい」事をあこぎと呼ぶようになった
のです。


伊勢神宮は江戸時代
「死ぬまでに一度でいいから行ってみたい場所」でしたが、
当時はそう簡単にお詣りが出来ません。その代わりに伊勢神宮
が毎年御札を発行しそれを日本全国に配っていました。
この御札の効力は1年限りで、翌年になると新しい御札が
配布されます。その時に古い御札を適当に捨てるわけに
いかないので箱を設置してその中に入れて処分する事になって
いました。その箱の名前が「お払い箱」です。「お払い箱」と
いうのは古い御札を入れる箱でした。


伊勢神宮がらみでもう一つ御札が作られています。当時の
伊勢は商業都市で多くの商人が色々な物を取引する市場が
ありました。ここで大量の金銭が動いたのですが、大量の
金貨を持ち運ぶのも大変だということで、金貨の代わりになる
御札が印刷されています。伊勢神宮の門前町として栄えた
伊勢山田という所で発行されたので「山田羽書」と呼ばれて
いますが、これが日本最古の紙幣と言われています。