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2013年1月

2013年1月31日 17:29

2時のうんちく劇場

1月31日  シューベルト


1797年01月31日:オーストリアに作曲家のフランツ・シューベルトが
誕生した日です。


シューベルトには名曲は多いのですが、生前は評価はあまり高く
ありませんでした。そのために1度しか演奏会を開くことが出来ません
でした。演奏会を開くことが出来なかった理由として、経済的に恵まれて
いなかった事、そして自分の容姿に自信が無く内気だった事もあります。
そのため生涯独身で彼女を作ることも出来ず、ちょっと屈折している処
もあり「人生にとって一番重要なことは結婚する事ではなく心を許せる
友達を作ることだ、なんていうのは彼女がいる人間の傲慢だ」などと
語っていたそうです。一生懸命曲を作ってもあまり評価もされず、食事は
パンだけで、それをワインで流し込むという毎日だったそうです。
そのためにワインの飲み過ぎによる糖分過剰摂取でむくんだように太って
いたそうで、友達に「ビア樽」とあだ名を付けられていました。ワインを
沢山飲んでいた理由が居酒屋が経営する下宿の二階に住んでいて、安く
手に入る、ツケが利くという物でした。さらに付き合っていた友達が悪く、
気が弱いシューベルトの所へおごって貰う目的の連中が集まっていた
そうです。ちょっとでも曲が売れたというウワサが流れるとすぐ何人も
友達が集まって大宴会が始まったそうです。普段、友達がいない
シューベルトはそれでも人が集まってくれるが嬉しかったのですが、奢ろう
にも金がまったくない時は部屋の窓にポケットを裏返して「中に何もない」
という意味のズボンを干しておいたのです。わざわざやってきてもおごる
金が無いと言うのが悪いと思っていたのです。


シューベルトはベートーベンを尊敬していて、ある時意を決して会いに
行ったのですが、イザという時にも内気な性格が災いして何も喋ることが
出来ず、さらにその時のベートーベンは耳が不自由だったために、まったく
会話が成立しないままだったそうです。この時の無言の出会いが、
生涯唯一の出会いになったそうです。そのベートーベンが亡くなった時に
葬儀に参列しているのですが、その日葬儀を終えたあと、仲間と一緒に
酒場に行き、その乾杯で「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯!」と言っている
のですが、翌年、1828年にシューベルトは31歳で亡くなっています。


それから10年後、作曲家シューマンがシューベルトの兄を訪ねた際に、
遺品の中から『ハ長調の交響曲』という楽譜を発見しています。その曲を
メンデルスゾーンがオーケストラで演奏して、そこからシューベルトが評価
されていくのです。名前も曲も200年後の現在も知られていますが、ちょっと
悲しい人生だったのかも知れません。

2013年1月31日 16:38

情報五つ星

1月31日  日本一周方言の旅 『栃木県編』

 

栃木県と言えば「日光東照宮」、鬼怒川や塩原の温泉、那須塩原など
自然豊かな美しい観光地がたくさんあるところですよね。

今日は、栃木県観光物産協会の石川隆さんに電話でお話を伺いました。
栃木県の県民性は、引っ込み思案で、遠慮しがちなところが
あるそうです。


≪栃木弁講座≫

「初級編」

● ~しよう   =   ~するべ
● 雷      =  雷様(らいさま)


「中級編」

● 出会う    =  いきあう
● 身体が疲れた =  身体がこわい
● かきまぜる  =  かんます


「上級編」

● 大丈夫    =  だいじ   


  *「だいじない」と言うと、普通、大事じゃないという意味に
    取られますが、栃木弁では「大丈夫じゃない」となります。


●最後にいつものセリフです。

 「オレぁ 玲子さんのことが すんごく 好きだぁ!」


栃木は今、雪の季節。
雪の中の露天風呂でお酒を楽しむこともできますよ。
冬のバカンスにぜひ、出かけてみてください。

2013年1月30日 19:25

情報五つ星

1月30日  エンゼルパワースポット♪


今日は、『ふじのくに エンゼルパワースポット』という小冊子を
紹介しました。
お話を伺ったのは、静岡県健康福祉部 こども未来局 こども未来課
の石原健太さんです。

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静岡県が、県民から広く募集した、
「恋愛・結婚・子宝」にまつわる噂のスポットが、約30ページに渡り
たくさん紹介されています。

 

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有名な縁結びの神社だけではなく、お店の食べものやグッズだったり、
ウソのような縁結びの伝説など、読んで「へえ~」となるような
楽しい情報もたっぷりです。

静岡県内の大学や観光協会で無料配布しているそうです。
ぜひ、見つけたら手に取ってみてくださいね。

2013年1月30日 19:20

情報五つ星

1月29日  キッチン奉行 ~遠山のゆみさん~


今日は、静岡県農業経営士協会の総会の会場から生放送で
皆さんが作ったおいしい静岡の野菜やお肉を使った料理を
作りました。皆さんも新鮮な食材でぜひ、作ってみて下さいね。


『 静岡冬野菜の熱々サラダ 鍋 』


【材料】

(A)
豚バラ肉  ・・・   200g
白ネギ   ・・・   1本
トマト   ・・・   1個

(B)
醤油    ・・・   大さじ2
酢     ・・・   大さじ2
砂糖    ・・・   大さじ2
塩・コショウ・・・   適量

(C)
青ネギ   ・・・   適量
白炒りゴマ ・・・   大さじ1

(D)
酒     ・・・   適量
水     ・・・   適量
(予算に応じてですが鍋の5分の1くらいお酒にしたい)

(E)
旬の冬野菜 (火がとおりやすく厚みのあるものは薄くする)
セルリー、大根、小松菜、レタス  など

【作り方】

①タレを作ります。
 豚バラ肉は1センチ幅に切る。白ネギは斜め薄切りにする。
 トマトは種とゼリーを除き、果肉のみ1センチ角程度に切る。
 青ネギは小口切りにする。

 豚肉とネギをさっと炒めて、(B)の調味料を加えて馴染ませます。
  トマトと青ネギ、白ゴマを加えてタレの出来上がり。

②鍋のスープを作ります。
 ニンニクを縦半分に切り、芽を取り鍋に入れます。酒と水を
 注いで、アルコールが飛ぶようにゆっくり煮たてます。

③食べやすく下ごしらえした冬野菜を サッとスープにくぐらせて、
 タレをつけながら食します。


おいしくて、野菜がた~くさん食べられるお鍋です。
ぜひ、試してみてくださいね。

2013年1月30日 18:35

情報五つ星

1月28日  目指せ食料自給率100% ~静岡の農業を応援しようの巻~

 

明日(1月29日)に静岡県農業経営士総会の会場での出張放送を
控え、今週は、これから静岡の農業の担い手である、
静岡県青年農業士会の理事をされていらっしゃる、小澤達彦さんに
スタジオにお越しいただきました。
小澤さんご自身は、現在32歳、静岡市でわさびの生産をされています。

 

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小澤さんたち若い世代の視点から、現在の静岡県の農業を見ると
これまでお話を伺ってきた経営士の方とも、また違う面が見えてきて
興味深く感じました。

農業経営士の皆さんはいわゆる社長さんたちの集まりであり、
こだわりが強すぎたり、伝統を大切にしすぎてしまうこともある。
それに対して、小澤さんたちは現実をみきわめて、将来の静岡の農業を
守るために冷静に考えていかなくてはならないということなんですね。
らぶらじも、全面的に協力していければいいと思います。

2013年1月30日 17:18

2時のうんちく劇場

1月30日  二人のルーズベルト


1882年01月30日
アメリカ32代大統領のフランクリン・ルーズベルトが誕生
しています。(1945年4月12日に63歳で死去)


アメリカ大統領にはルーズベルトが二人いて、26代のセオドアと
32代のフランクリンはイトコという関係です。と本などには
書かれていますが、実際には6代前のニコラス・ルーズベルトの
息子ジョハネスとジャコパスから別れる家系なので、遠い親戚
という感じの間柄です。そして政治的にはこの二人は反発して
いる関係だったそうです。26代のセオドアは日露戦争の仲直り
会議「ポーツマス条約」を取り仕切ってノーベル平和賞を受賞した、
日本に対して平和をもたらした人でもあります。実はセオドアさん
は日本大好きで、まだ世界的スポーツでは無かった柔道を習って
いたそうです。日本に興味をもつキッカケは忠臣蔵の翻訳本を
学生時代に読んだのがキッカケだったそうです。あとセオドアの
ニックネームがテディで、くまのぬいぐるみに名前を残しています。


日本に平和をもたらしたセオドアに対して、32代のフランクリンは
第二次世界大戦当時の大統領という事もあり、軍部に押し切られる
形で原子爆弾の開発にゴーサインを出してしまった大統領です。
フランクリンが在任中にアメリカ国防総省の建物ペンタゴンが完成
しています。なぜ五角形の建物なのかというと、最初の建設予定地
は別の場所でそこが5角形だった事から地形に合わせた設計された
のです。しかし設計図が出来た後で、フランクリン・ルーズベルト
が「別の場所の方がよくないか?」と言い出し、現在のあそこに
建てることになったのです。が、設計図は書き直さずそのままだった
事からあの五角形の建物が出来、英語で五角形を意味する
「ペンタゴン」が通称になったのです。


第二次世界大戦の末期、1945年2月にアメリカ・イギリス・ソ連の
首脳が集まって「戦争終わったらその後どうするか」の話し合い
『ヤルタ会議』が行われフランクリンはそれに出席しています。
この時フランクリンは体調不良だった上、現地までのデコボコ道を
3時間以上も揺られ、会議の最中はグッタリして、周囲から観て
寝ているんじゃないかという様な状態だったそうです。これはソ連が
ワザと仕掛けたのでは無いかとも言われています。その事から
積極的な意見が言えずに、北方領土の扱いも反対意見を出せずに
ソ連が主張するまま決定してしまったのです。そしてその会議の後
もフランクリンの体調は快復せず、2ヶ月後の1945年4月、
あと数ヶ月で終戦と言うときに亡くなってしまいます。終戦間際の
大混乱の中、葬儀が執り行われます。その時の写真が雑誌『Look』に
掲載されていますが、その写真を撮影したのは19歳のカメラマン志望
の青年スタンリー・キューブリックです。後に映画監督になるあの方
のデビュー作だそうです。

2013年1月30日 10:16

2時のうんちく劇場

1月29日  静岡県の食生活


静岡県は厚生労働省が調査した健康長寿、いわゆる健康に
生活が出来るお年寄りが多い県として去年発表されたデータでは
女性は全国1位、男性は全国2位となっています。実は男性の
1位は鉄っちゃんの住んでいる愛知県です。何故こんなに静岡県
は健康なお年寄りが多いのかと言いますと、健康は食によって
作られていますので、そこにヒントがあります。
 

実はお米の1世帯当たりの年間支出額が全国1位なんです。
1世帯あたりの全国平均は86.33kgですが、静岡県は1.2倍多い
104.88kgを食べています。生産は1位じゃないのになぜ消費が
全国1位なのかという明確な答えは無いのですが、お米を美味しく
食べる条件が揃っている事が考えられます。まず静岡県人は
食事のときに当たり前のようにお茶を飲みます。これ、静岡県に
住んでいると気付かない事なのですが、他の県では意外と食事中
のお茶はありません。全国平均の2倍のお茶を飲んでいると言う
ことで、緑茶に含まれているカテキンが悪玉コレステロールを退治
する、なんて事を言われる前から実践していたわけです。そのこと
もあって静岡県はコーヒーの消費量では47都道府県中46位です。
それ以外では御飯のお供になる食材が豊富だという事があります。
静岡県は日本で一番高い富士山があるのと同時に日本で一番深いと
言われる駿河湾があり、当然ながら高低差日本一で、海の幸山の
幸が豊富に収穫できます。実は農水産物の生産品目の219品目で
日本一の収穫量を誇っているので、美味しく御飯が頂けるわけです。


食文化というのは調べていくとよく解らない統計も出てきます。
たとえば人口当たりのフランス料理店が多い都道府県で静岡県は
東京に次いで第2位です。そんなに多いかという印象ですが、
統計では10万人辺り11軒ほどあるそうです。他には日本料理店の
店舗数が全国4位(1677軒)。寿司屋さん店舗数も全国4位(1123軒)
と、外食も盛んな県です。静岡県は甘い物が大好きという統計も
出ていますが、お茶を飲むので和菓子が中心かと思うとプリンの
消費量が全国1位です。これに関しては理由は不明です。他に意外な
物で、おそらく静岡に住んでいる人は当たり前の駄菓子だと思って
いる「さくら棒」という麩菓子がありますが、あれ静岡県だけの
駄菓子です。黒糖で作った黒い物は全国的にありますが、あの桜色の
麩菓子はほぼ静岡だけで生産されているものです。


食事以外の統計では、睡眠時間が静岡県人は平均464分(7時間44分)
で全国順位26位でちょうど平均的なのですが、早寝早起き順位では
4位となっています。つまり、早めにベッドに入って、平均的に寝て、
早く起きるという習慣が出来ている事も健康長寿に繋がっている
のかもしれません。

2013年1月28日 16:40

2時のうんちく劇場

1月28日   コーヒー


1998年01月28日
モーニング娘。がデビューシングル「モーニングコーヒー」をリリース
してメジャーでビューした日です。という事で、そこで歌われている
コーヒーについてのお話です。


コーヒーの歴史は3~5世紀のアラビア半島で、飼っていた山羊が野生の
木の実を食べては興奮しているのを見て、試しにその木の実を食べて
みると眠気が無くなる事に気づいた事から始まります。その発見場所が
エチオピアの「カフア:kaffa」で、ここからカフィ→コーヒーと
名付けられています。最初はガムのように噛む物で、現在でもアフリカ
などでは眠気覚ましとして炒っていないコーヒーの豆を噛む地域も
あるそうです。その後、コーヒーを炒ったり、粉にしたり、濾過したり
と変化して飲み物として完成させれていくのですが、今でもアフリカを
初めとして地中海周辺では古いタイプのコーヒーが生き残っています。
例えばギリシャなどでは、挽いた豆を鍋に入れてたっぷりの砂糖を
入れ煮出した物を飲む事もあり、これはグリークコーヒーと呼ばれて
います。


一般的なフィルターを使ったコーヒーはちょっとお高い飲み物という
ランクだそうですが、ギリシャにはもと高級で値段の高いコーヒーが
存在しています。その名は「ネスカフェ」です。高級なレストランに
行くとセレブ向けにネスカフェが出てくるそうです。


インスタントコーヒーの発明は1899年で、発明者は日本人加藤了(サトリ)
さんです。
コーヒーに関しては冷やして飲むという事を考え出したのも日本人で、
誰が最初か不明ですが明治時代後期の喫茶店では夏場のメニューとして
冷やしコーヒーが登場しています。そして缶コーヒーというのも日本人
の発明です。一般的には1969年にUCC上島珈琲が発売した
「ミルクコーヒ-缶」とされていますが、実はそれより11年も前の1958年
に外山食品という会社が「ダイヤモンド缶入りコーヒー」という物を
発売した記録があります。が、その会社は6年後の1964年に倒産して資料
が残っていない事から、現時点では1969年のUCCが最初となっています。
コーヒーというと眠気覚ましみたいな印象がありますが、実際の事を
言えばカフェインの量は紅茶や緑茶の方が多いので、試験勉強の時に
役に立ちます。ついでに言うと、チョコレートを囓ると脳の活性化に
繋がると言われますが、同じ甘い物ならばアンコの方が吸収が早いので
饅頭の方が良いそうです。つまり勉強や試験直前はチョコ&コーヒーより、
饅頭&お茶の方が活性化&眠気覚ましに良いのです。
ちなみにコーヒーには43種類もの香気成分が含まれており、それを分析
すると「魚肉臭」や「カビ臭」「二日酔いの吐臭」にそっくりな物も
微量に含まれています。でもこの臭いを外すと深みのないつまらない味
になるそうです。

2013年1月25日 16:19

情報五つ星

1月25日  ロードバイクの魅力


第142回の今日は、伊豆市にお住まいの山田新一さんに
お話をうかがいました。

 

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ロードバイクという自転車は、道路を長距離走ることに向いていて、
ある程度のスピードを出して、長い時間乗るタイプのものだそうです。


片道5時間のところに出かけることもあるという山田さん。
体力と技術を活かして、自分の身体を使って
遠くまで行けるところにロードバイクの魅力があるそうです。
健康のためにもぜひ、元気でそして安全運転で続けてくださいね。

 

 

2013年1月24日 17:27

2時のうんちく劇場

1月24日   ラジオ初期


77年前、1936年(昭和11)01月24日:浪曲師400人が

ラジオ出演拒否宣言をした日です。


日本でラジオ放送が始まったのは1925年、大正14年3月の事ですが
当時はラジオの受信機の値段がかなり高かった事から一般の方は
あまり手を出せないシロモノでした。
それから10年ほど経った昭和11年にはラジオも安くなり多くの人が
聞くようになって、当時はNHKしかありませんでしたが、ニュースや
堅い番組ばかりではなく、娯楽性のある番組も増えて行きました。
そのタイミングで浪曲師たちが「ラジオで放送されちゃ客が入らなくなる」
という事で出演拒否をする人も出てきたのです。
 

同じような現象として、出版業界も「ラジオなんて物が流行ると、
誰も本や新聞を読まなくなる、ラジオのせいで日本の活字文化は廃れて
いくであろう」との意見があり、新聞などでラジオ批判を展開する事も
あったそうです。新しいメディアが誕生すると、古いメディアが衰退する
という危機感はいつの時代もあります。最近ではインターネットの普及で
出版活字放れ、テレビなどのメディア放れなども色々語られています。


確かに昭和初期に新聞を読んでいたインテリ層の中には「ニュースなどを
知るためには新聞で読むよりラジオの方が圧倒的に早い」ということで
新聞購読を辞めるケースも多かったそうです。その事もあって新聞社が
ラジオに関して批判的な記事として、どこまで本当にあった話なのか
不明ですがラジオ放送開始から半年後の大正14年10月25日に「ラジオが
原因の幻聴患者が続出している」という記事を出しています。
後にテレビが登場した時も「テレビを観ると頭が悪くなる」みたいな意見
も出ていますので、その手のネガティブキャンペーンだと思います。
その時に読売新聞社主・正力松太郎氏が逆転の発想をします「そんなに
ラジオが人気だったら新聞にラジオの番組表やどんな番組をやるかの記事
を載せればいい」と。そしてラジオ欄が登場したのですが、社内では
「敵の情報をワザワザ宣伝してやる必要はないじゃないか」と批判的意見
が多かったそうですが、このラジオ欄が登場してから、新聞の部数が
飛躍的に伸びていったそうです。

 

そして最初の「浪曲師が出演拒否」という話ですが、そんな状況を
無視して当時一番人気だった2代目広沢虎造さんは積極的にラジオ出演を
しています。その結果、持ちネタだった「旅行けば~駿河の国に茶の香り」
と謳う森の石松の話から「寿司食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」
などの流行語が誕生し、実際の舞台を見たいという事で演芸場は常に満員
になって行きます。マイナスになった時に逆転の発想というのも
大事かもしれません。