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元特攻隊員が刻む悲劇の手記 戦後73年「後世に伝えなければ」

(2018/8/13 17:00)
自身の体験を手記にまとめた元特攻隊員の杉田登さん。10月の展示会へ原爆死没者慰霊碑の版画の制作に取り組んでいる=9日午前、沼津市
自身の体験を手記にまとめた元特攻隊員の杉田登さん。10月の展示会へ原爆死没者慰霊碑の版画の制作に取り組んでいる=9日午前、沼津市

 重爆撃機の元特攻隊員で木版画家杉田登さん(91)=沼津市西間門=が、自身の戦争体験を手記にまとめた。「遠い日のおもいで」と題し、少年飛行兵の厳しい訓練や戦友の死、特攻隊への転属命令などを振り返り、表紙には当時、福岡県内の基地から見た風景を版画で表現した。これまで自身の体験を積極的に語ってこなかったが、戦後73年がたった今でも世界各地で戦争や紛争が続く現状に「愚かな行いを繰り返さないため、悲惨さを後世に伝えなければならない」との思いが強まった。
 1943年10月、杉田さんは陸軍少年飛行兵になるため青森県の所沢陸軍整備学校八戸教育隊に入学した。当時の教育は国のため戦争に行くのが当たり前。徴兵された4人の兄に続き軍人になる道を選んだ。
 八戸から浜松市の浜松陸軍飛行学校に転任し、四式重爆撃機「飛龍」の機上機関士の訓練を受けた。戦況は悪化の一途をたどり、次第に特別攻撃が始まる。手記には「緊張と一抹の不安もあったことは否定できない」と当時の心境をつづった。その不安は的中し、45年6月に突然、茨城県の西筑波基地への転属を命じられた。
 「この基地は本土決戦の特攻基地である。特別攻撃隊第226振武隊へ配属する」。中隊長の言葉に一瞬気が引き締まったが、胸中は複雑だった。「俺の命もこれで終わりか」。終戦までの約2カ月間、戦友は次々に出撃した。手を振って見送ると「おまえもしっかりやれよ」と声を掛けてくれた戦友の寂しげな表情が今でも脳裏に焼き付いている。
 戦後、沼津市役所に勤めた。以前から絵画が好きで退職後、木版画家として活動を始めたが、教室の生徒に戦時中のことを聞かれても多くを語ることはなかった。手記を書くきっかけは、今年に入ってふと目にした特攻隊をテーマにしたテレビ番組。完成した手記は今後、図書館などに寄贈するつもりだ。
 手記執筆と平行し、戦争をテーマにした版画も作り始めた。現在は10月の展示会へ向け、広島県の原爆死没者慰霊碑を題材にした作品を制作中。「終戦があと1週間遅れていれば自分は間違いなく出撃していた。亡くなった多くの仲間のためにも、二度と戦争は起きてほしくない」。戦争の悲惨さを、さまざまな形で伝えていく決意を新たにしている。
 

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