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インパール従軍、望月さん(静岡)死去 悲惨な戦争描き語る

(2018/1/19 08:36)
出征直前に庵原村(現在の静岡市清水区)の自宅前で父母や妹たちと写真に納まる望月耕一さん。当時二十歳前後だった=1942年12月ごろ(遺族提供)
出征直前に庵原村(現在の静岡市清水区)の自宅前で父母や妹たちと写真に納まる望月耕一さん。当時二十歳前後だった=1942年12月ごろ(遺族提供)

 「水際に座ったまま川を眺めている兵士がいた。近づいてみると、軍帽をかぶり軍服を着た白骨だった」―
 東京の民放ラジオでも紹介され反響を呼んだ「瞼(まぶた)のインパール」(静岡新聞社)を自費出版した望月耕一さん=静岡市清水区=が昨年12月29日、95歳で亡くなった。「戦争は二度とあってはならない」との信念から、旧日本軍の「インパール作戦」の経験を語り継ぐ活動も続けた。
 18日に自宅で取材に応じた望月さんの妻とくさん(92)ら家族によると、太平洋戦争末期に旧日本軍がインド北東部の英軍の拠点を攻略しようと実施した作戦に衛生部隊として参加。戦後、「無謀な作戦を語り継ぐ写真が日本側には全くない」との意識から墨絵で体験画を描き始めた。
 家族の勧めで2006年に出版した「瞼のインパール」は第6回県自費出版大賞になった。静岡平和資料センター(同市葵区)などでたびたび体験画の作品展なども開いた。
 戦死や病死の兵士があまりにも多かったため、退却の道は「白骨街道」と呼ばれたインパール作戦。記録がほとんどないため、生前は県外の研究者がたびたび望月さんの自宅を訪れていたという。
 同センターの浅見幸也センター長は「晩年もマラリアを度々ぶり返していた。『若い人に戦争を伝えなくては』との思いを強く感じた」と振り返った。

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