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戦時震災、復旧困難裏付け 静岡県内高校教諭ら文献調査

(2017/12/7 07:52)
被災工場の復旧率などをパーセンテージの数字で詳細に記録した浜松警察署の「震災被害状況書類」の写し(浜松市立中央図書館所蔵)
被災工場の復旧率などをパーセンテージの数字で詳細に記録した浜松警察署の「震災被害状況書類」の写し(浜松市立中央図書館所蔵)

 1944年12月7日に発生したマグニチュード(M)7・9の昭和東南海地震。浜松市を中心とした被災軍需工場の復旧作業が総動員で進められた一方、約1カ月後の復旧率は平均60%程度にとどまったことを県内の高校教諭や元教諭のグループが文献調査で裏付けた。工場の復旧率は90%超から10%程度まで幅広く、調査グループの青島晃・磐田南高教諭(63)は「戦時中に隠された大地震について知るための貴重な記録」と話している。
 青島教諭らは、主に県西部の公立図書館などに保管されている文書や当時を知る住民への聞き取りなどを通して昭和東南海地震の調査を進めている。今回は特に当時の浜松警察署が地震当日から約1カ月間の工場や学校などの様子を詳細に記録した「震災被害状況書類」(写し、浜松市立中央図書館所蔵)に、復旧作業に当たった人の出動率や工場の生産率、復旧率などの経時変化がパーセンテージで克明に記載されていたことに着目。戦時中に起きた大地震で、ただでさえ資料が少ない中、残されていた貴重な数値データを掘り起こしてまとめた。
 調査によると、日本楽器天竜工場、中島飛行機宮竹工場など八つの工場の平均出動率は地震前の90%から地震後に一時81%に低下したものの、約1カ月後には86%に回復。東京や神奈川の大工やとび職人が多数駆け付けたり、軍隊からも派遣されたりした記録もあり総動員で復旧作業に当たったことを示唆している。一方、地震前を100%とした復旧率は約1カ月後に平均58%までしか回復せず、資材不足などで現状復帰が難しかったことを数値で裏付けた。
 青島教諭は「昭和東南海地震から70年以上がたち直接の体験者の話を聞くことが難しくなっている。できる限り記録や伝承を調査して後世に残していきたい」と意義を話した。

 <メモ>昭和東南海地震 南海トラフの一部で発生したプレート境界型地震。マグニチュード(M)7・9。1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分、三重県南東沖を震源に発生した。東海地方を中心に強い揺れと大津波が襲い、死者・行方不明者1223人、家屋の全半壊・流失約5万7千戸に及んだ。戦時中だったため被災の実態は秘匿された。2年後の46年(昭和21年)12月21日、西隣の震源域で昭和南海地震(M8・0)が発生した。

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