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浜松城、豊臣期は豪壮 櫓の基礎を確認 市の天守曲輪発掘調査

(2018/10/31 08:28)
櫓の基礎が見つかった現場=30日午後、浜松市中区の浜松城跡
櫓の基礎が見つかった現場=30日午後、浜松市中区の浜松城跡
浜松城跡の発掘調査位置
浜松城跡の発掘調査位置

 浜松市は30日、浜松城跡(中区)で実施している発掘調査で城の中枢部分「天守曲輪(くるわ)」の南東隅で櫓(やぐら)の基礎を新たに確認したと発表した。徳川家康の関東移封後に城主を務めた堀尾吉晴の時代(1590~1600年)に築かれ、江戸時代初期に埋められたとみられる。市文化財課は豊臣政権下に建てられた豪壮な城が、徳川幕府に否定されたことを物語る貴重な史料と位置付けている。
 同課によると、櫓の規模は最大で南北約10メートル、東西約7メートルの2階建てと推定され、見張り場所や武器庫として用いられたとみられる。基礎は天守曲輪の地中約2メートルで発見され、周辺には櫓に用いられたとみられる大量の瓦が埋まっていた。
 堀尾氏は豊臣秀吉の重臣で、関東に移った家康をけん制するために浜松城に配置され、石垣や天守などを備えた重層的な城郭を築いた。しかし、江戸時代前期に描かれた浜松城の絵図には、天守や櫓といった建造物は描かれていない。
 浜松城の歴史に詳しい三浦正幸広島大名誉教授は「関ケ原の戦い以前の浜松城は豊臣政権の威厳を知らしめる役割があり、駿府城も同じ狙いがあった。しかし、浜松城に関しては、江戸時代になると徳川の譜代大名の官舎的な存在になり、軍事的な機能が必要なくなった」と解説した。
 市は2018年度に天守曲輪の土塀を復元する計画だったが、今回の発掘調査の結果や専門家の意見を踏まえ、今後の整備方針を再検討する。三浦名誉教授は「どの時代の浜松城に復元するのか、または復元しない方が良いのか。市民が誇りに思える姿をよく考えてほしい」と話した。
 市は11月3、4日の午前10時40分と午後1時半に一般向けの現地説明会を開き、発掘の成果を報告する。

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