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「幻の城」姿現す 家康追いやった後の駿府、秀吉の天守台 静岡

(2018/10/17 07:39)
豊臣秀吉が築かせた天守台の石垣を説明する調査員(右)=16日午後、静岡市葵区の駿府城公園内発掘調査現場
豊臣秀吉が築かせた天守台の石垣を説明する調査員(右)=16日午後、静岡市葵区の駿府城公園内発掘調査現場
出土した金箔瓦=16日午後、静岡市葵区
出土した金箔瓦=16日午後、静岡市葵区

 静岡市の駿府城(同市葵区)発掘調査で、豊臣秀吉が家臣に築かせた城の跡を発見したことを受け、市は16日、出土した天守台の石垣や金箔(きんぱく)瓦などの全容を報道関係者に公開した。専門家は「徳川家康の城の下に豊臣政権下で築かれた城があったのは大発見」と評価。市は、秀吉が江戸へ追いやった家康を威嚇するため駿府に豪華絢爛(けんらん)な城を築いたとみている。
 豊臣方の築いた城の存在は推測されていたが、裏付ける遺構や史料はなく、「幻の城」とされていた。
 発掘調査は2016年度から4年計画で実施。市によると、家康は1588(天正16)年に駿府城を築いたが、秀吉の命で江戸に領地を移した。家康に代わって秀吉家臣の中村一氏が90(同18)~1601(慶長6)年に城主を務めた。新たに見つかった城跡は、この間に築かれたとみられる。天下統一を果たした家康は駿府に戻り、10(同15)年に駿府城を完成させた。
 2018年度の調査で、家康が築いた天守台の南東部の土中から、古い石垣が見つかった。自然石を積み上げる「野面積み」で、家康の城に使われていた表面の石が平らな「打ち込み接(は)ぎ」とは異なる形状。傾斜も家康の石垣よりも緩やかだった。
 石垣の隣の敷地からは、約330点に及ぶ金箔瓦が見つかった。考古学が専門の中井均・滋賀県立大教授によると「金箔瓦の造瓦技術が豊臣時代の特徴を示している」という。これらの事実が「秀吉の城」であることを決定づけた。

 ■20、21日に臨時公開
 静岡市は20、21の両日、午前9時~午後4時に、豊臣秀吉が家臣に築かせた城の遺構を臨時公開する。調査員が随時説明をする。金箔瓦の展示はない。参加無料。希望者は直接、駿府城公園内の発掘調査現場へ。通常公開は11月22日を予定している。
 問い合わせは市歴史文化課<電054(221)1085>へ。

「秀吉の城」の天守台が発見された発掘現場
「秀吉の城」の天守台が発見された発掘現場

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