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アメリカのきもち、日本のきもち、同じきもち――。

――――日米双方の視点から描く映画史上初の2部作――――
日本とアメリカ、それは、同時に描かれなければならなかった
それぞれの「硫黄島」――。
世界が記憶にとどめる日本の島がある。私たちこそが忘れてはならないひとつの島がここにある――。
太平洋戦争激戦の地「硫黄島」。
終戦から60年が過ぎたいま、日本とアメリカの双方から、この島の封印が解かれようとしている。
ひとつの島をめぐって描かれる映画史上かつて例のない2部作。
アメリカ側の視点から描いた「父親たちの星条旗」、 日本側の視点から描いた「硫黄島からの手紙」
ふたつの「硫黄島」に出会うことで初めて見えてくる真実がそこにある。
今まで知らなかった事実、知らなかった人々、知らなかった思い……。
「硫黄島」は、語られるべき時を待っていた。
2006年10月、そして12月。61年目の今年、*ふたつの「硫黄島」が、この島の真実を描き出す。


(C) 2006 Warner Bros. Entertainment Inc. and DreamWorks LLC
 
 
■硫黄島に行って―――
Q:昨日、舞台挨拶で日章旗と星条旗を硫黄島で交換するエピソードをうかがいまして、硫黄島に行かれた時の
第一印象はいかがでしたか?
渡辺:撮影はほとんど、芝居は終わっていたので、その、どこまでそこで彼らが、命を落としたり、傷ついた方々の気持ちとか無念さを、僕たちはどこまで表現できたのか、伝えることができたのかって意味では、実際、島に行くと、なんていうんですか、相当なプレッシャーというか、これで大丈夫だったのかなっていう気はしてたのですね。ただ、飛行機の上から島が見えた途端に、自分たちが一生懸命想像して、命のやりとりをしたというある種の、身体の中の記憶みたいなものが、島と同期しちゃって、こう、震えが止まらないぐらい涙が出てきましたね。
ただ、島に降り立った時にはね、すごく包まれるような感じがあって、弾かれる感じがなかったんですよ。だから僕たちが一生懸命考えたり悩んだりしたこと、それで、こうやって伝えられる1つ形というものが、そんなに間違ってはいなかったのかなーって少し安堵しました。
 
Q:映画の撮影はいつごろから?
伊原:3月の終わり…いや半ば…

渡辺:半ばですね、15、6くらいから…

伊原:そうだ、3月の半ばだ

渡辺:4月いっぱいですかね。
 
Q:撮影期間と、硫黄島にいた時間は、結構近い日数だったんですか?
渡辺:ちょっと撮影期間のほうが長いですよね。ただ、実際の戦闘が始まって36日間ですけれど、以前からの経緯がありましたから。
撮影途中で、やっぱり3月26日という日を迎えた時は、ちょっと思うことがありました。これからロケに行くぞっていう心構えが…
 
Q:砂漠での撮影は、厳しい状況だったのでしょうか?撮影中はいかがでしたか?
伊原:都会にいるよりはそうだったんですけど、ホントの戦場はこんなもんじゃないっていう想いはしました。もっともっと大変なんだって

渡辺:
洞穴に入ると時間がわからなくなっちゃうんですよ。昼だろうと夜だろうと撮れちゃうんで(笑)、だからほんとに自分の腹時計だけが頼りで、いや〜あの、おそらくこんな感じって想像するだけなんですけど、昼も夜もなくずっと洞穴にいるってこういうことなのかなーって思いましたね。もちろん撮影は、あの、太陽とか天気に左右されることなく、どんどん撮れたんですけど。
 
Q:本当に複雑な…地下要塞ですよね?
渡辺:そうですね、蟻の巣みたいな三層構造だったりしますから…
 
Q:硫黄島に行かれた時は地下壕まで?
渡辺:いや、あれね、相当わからないんですよ。非常に密に掘られていて、全貌がよくわかっていないとの、まだ、遺骨があったり不発弾があったりするので、あのほんとに迷ってしまったら、出てこれないような深さなんですよ。熱いし、狭いし、想像を絶するものがありましたね。
 











 
 

■巨匠クリント・イーストウッド監督―――
Q:監督はどのようなアドバイスをされたのですか?
伊原:具体的にアドバイスというより自由にできる環境を、与えてくれたっていうか、自由に自分のアイデアを言い、意見を言い、で、それを「うん、それはOKだ」っていうふうに言ってくれたんで…。ほんとに、そういう環境を与えてくれたっていう。
 
Q:でも、それは日本語での演技ですよね?
伊原:えっ!?
Q:日本語でのセリフで、演技のOKとかは、伝わりやすかったんでしょうか?

伊原:あの〜何て言うんですかね、ま、もちろん細かい言葉のニュアンスとか、たとえば、間違いとかそういうことには気がつかないですけども、もちろん全部、その英語の台本を読んでますから、そこで何を表現したいかというのは、もちろん監督自身、クリント自身持っているわけですよね。それで僕たちがそれを、ま、そのシーンをたとえば演ると、言葉にとらわれずに、そのシーンの、何ていうんですかね、本当に純粋な気持ちだけが逆に見えてくる…言葉を追わないから、言葉にだまされないから…、そういうのがあったと思うんですよね。
でも、それって、僕はずーっと日本で芝居やってて、まず、芝居ってそれだって思ったんですね。たとえばこうやって僕と謙さんがいて、その関係性を見ている人が想像できる―それが役作り。
たとえば、逆に謙さんが僕より少し先輩で、この環境を自分がどうここにいるのか、それを相手に嗅ぎさせる、まあ、ちょっとした仕草とか、雰囲気とか、すわり方もそうですし、いろいろ変わってきますよね、それが芝居だと思うんですよね。芝居の作り方、そこにプラス言葉。だから今回はそれを非常に、クリントがきっちりと見てくれて。だからクリントはいい芝居はわかる。で、実際になんか自分でもちょっと、今のシーン良かったかなって思う時に寄って来て、「Good job」なんて肩をたたいてくれるんですよ!だからその、言葉がわからなくて、仕事がやりにくかったっていうのはないんですよ。
逆にハリウッドで、僕、初めてで、いろいろ、びっくりしたこと、驚いたこと、ワッすごいなーとかって感激したこととかいーっぱいあったけど、ま、1つ自分がずっとやってきた芝居に対する取り組み方は一緒なんだって思いましたね。でも、謙さんはきっと何本かやってるから、こういうふうに思ってたって思うんだけど…。
でも、 日本でもそうじゃない役者もいるんですよ。そういう役者もいるし…。

 
Q:謙さんは監督とはいかがでしたか?
渡辺:あの、結局ね、僕たちも61年前の日本というものを、理解を超えた部分がたくさんあったわけですよ。だから僕たちがすべて日本人の気持ちがわかっているかってことでもなくて、この時代だったら、この状況の中の、人間のこう、精神状態みたいなものって、ほんとに想像超えることがたくさんあったんですよね。だからそれをまず僕たちが、きちんと想像するという、ようするに、今の、現代の人間たちが考えるヒューマニズムだけではすまないものがたくさんあったので、そういうことをまず、その日本の俳優たちの間のコンセンサスというか、どういう時代だったんだろう、どういう精神構造でこういうことをしていたんだろうかということを結構よく話をしました。
さらにはやっぱり日本語のチョイスというか、日本語の何を選んでいくかに関しては、任されていたので、我々の中で、それぞれ個々の俳優が、ちゃんとその役の、その時の状況だったり、バックグランドだったりを、キチンと言葉の中にのせて、気持ちをのせていける言葉を選んで、それぞれのキャラクターのジェネレーションだったり、ランク、階級だったり、軍人としての哲学だったりとか、そういうものから言葉を作っていきました。そういうことをすべてを任された上で、彼は非常に自由を与えてくれた――そういう感じの現場でしたね。ですから、「どうもちょっとそぐわないなー」とか、俳優から「たとえばこのシーンなんだけど、ちょっと簡潔に言えないだろうか」とかいうオーダーがあった時は、それをまた英語に訳して、クリントにノート渡して、それをもらって、もう一回日本語に直すという作業を日々やっていました。








 
 
■栗林忠道中将という人―――――
Q:栗林中将が硫黄島に行った時は、いくつだったのですか?
渡辺:ごじゅう…56じゃないかな…。
 
Q:謙さんとの接点は?
渡辺:まあ、実際僕より10歳近く上だし、さらに当時の日本人のものの考え方って今よりももっと大人だった気がするわけですよ。だから、そのへんで言うと、僕もちょっと背伸びをしなければならないかなっいう危惧は最初あったんですけど、ま、逆に言うとそれは、バランスだったりしますので、全体のバランスの中での自分の位置とか、この作品の中での位置とかが、わりと栗林さん的立場だったものですから、ある意味、若輩たちに、目配りや気配りをしている時に、ああ、これ、きっと栗林さんもこんなこと感じてたりやったりしてたんだろうなーってことを少し感じてやってましたけどね。
 
Q:栗林中将の役は部下の前では強い面を見せなければならなかったり、優しさで受け入れるシーンだったり、とても感情をコントロールするのが大変な上司の役だと思いましたが、謙さんから見て、栗林中将っていうのは?
渡辺:やっぱり深い葛藤を秘めていたと思うんですよね。あの〜戦況も、結構彼はクリアに見えていたと思いますし、で、おそらく戦争も負けるんだろうなってことも、理解していたと思います。ただ、やっぱり、その中で2万1千という兵隊を背中に背負って、しかも、その向こうには日本の国民というものを非常にこう、アメリカの侵攻を食い止めてなければならないという責務、ものすごい重責があったんだと思うんですよ。だから、彼が持ってる合意性だったりとかでいうならば、この戦いは無意味だって言ってしまうのは簡単なんですけども、やっぱり彼が非常にある種、古いタイプの―田舎で育ってますし―、外国の職業軍人でもあるっていう側面があったので、そのへんの葛藤だったりとか、その中でできる最善のことを尽くすんだっていう…、それは、指揮官、司令官として、その胸の内とかを明かせないというか、そう意味ではほんとに葛藤がありながら、その葛藤をどういうふうに、こう…伝えていけばいいのかっていうところでは――非常に俳優としては妙技のあるところではありましたね。
 
Q:最後、総攻撃って行くじゃないですか、あの時は、もう、兵もどんどん少なくなっていって、どんな気持ちだったのでしようか?
渡辺:彼自身が、要求したわけですよ。簡単に死ぬなって。最後まで戦うんだと。最後まで戦うということは何かというと、戦いたいために戦うわけではなくて、1日でも食い止めるべきだ、そうやっているうちに、なんとかこの戦争を終わらせることはできないだろうかという思いで、戦えと指示したわけですよ。でも、あの時点で戦うってことは、死ぬことよりも逆に大変なことだったんですよ。食料はない、水もない、弾もない、そういう中でどうやって戦うんだってこともあったわけですよね。でも、やっぱり僕が理解したのは、一緒に戦った者たちと、共に最期まで戦うんだと、あの時点では、ほとんど8割9割は亡くなっている現状でしたよね、400人くらいしか部下はいない状態でしたから。それまで、やっぱり自分が先頭に立って「戦うんだ」って指揮した、ある種の責任というか、一緒に戦った者たちの想いみたいなものを、一緒に受け止めて、自分は安全なところにいるわけではなくて、共に最期まで戦って、死力をつくせよってことだったんじゃないかなって僕は理解しているんですけど。
ほとんどね、ああいう状態ってないんですよ。司令官だったり、指揮官が、自ら先頭に立って矢玉の中に飛び出していくっていうことは、戦史上ないんですよね。非常に、ある意味、戦力的に言えば無謀なことかもしれないんですけど、その無謀さも乗り越えてしまった戦場でしたから。
 






 
 
 

■バロン西という人物―――――
Q:西さんの馬が撃たれて、駆け寄っていくシーンが印象に残ってるんですが…
伊原:はい…。
 
Q:カッコイイだけではない、なんて言うんでしょう、人間性みたいなのをそこで感じたんですけど、もちろん米兵を助けるシーンもそうでしたが、演じてらっしゃって、どんな人だと思われましたか?
伊原:わりとね、なんか写真なんかもそうなんですけど、カッコいいんですよ。なんかオールバックでね、その当時、陸軍はほんと坊主だったんですけど、彼は特別に許されてたんですよね。
渡辺:許されてなかった…(笑い)黙認という感じだったと思う…
伊原:黙認…まあまあ、あの〜外交パーティーにたくさん出る機会があったので、やっぱり頭を丸めてるとまずいんで、まあ、そういう…。で、写真見てもやっぱりすごく
渡辺:ダンディだったね(ダンディな低い声で)
伊原:か〜っこいいんですよね。
ほんとに昔の役者さんみたいな感じで、それで、ま、資料とかでもすごく華やかなカッコいい部分がクローズアップされてるんですけれど、金メダルとって、それで海外でもすごく人気があって、もちろん日本でもそうだし、なんか、日本に1台しかない車に乗って、その車を馬でこう、飛び越す写真とかあるんですよね、オープンカーを、ダーッっと。そういうホント華やかな、ほとんど、資料にはそういうことが書かれているんですよ。でも、たまたま僕、息子さんと会う機会があって、息子さんに話を聞くと全然そういう一面とは違った面、すっごく家族のことを思ってて、それで部下のことを思ってて、日本のことをすごく考えてる。それで自分の軍人としての、職に対しての、使命感と厳しさをすごい持ってる人だってわかって、なんか僕の中で、すごく興味がわいてきたし、まあ、たまたまちょっと探していただいた資料で、彼の幼少時代を描いてる、何十年も前にやった番組があったんですよね。それを見ると、なぜ彼が馬に走っていったかっていうのがわかったし、

渡辺:すごく複雑な生い立ちだったね。

伊原:結構内気だったんですよ、おとなしい、少年時代を過ごしてて、家庭にも、裕福な家庭なんだけど、愛情に飢えててっていう。それで、馬に出会ったという経緯があって、すごく変わるんですよね。だからそのへんも、どんどん興味を引かれて、ほんとにいろんな部分を…息子さんに聞いたエピソードの中の彼の、要するに人格とか全部を僕は入れたいなと思って僕は撮影に望んだんですけど、ただそれがなかったら、なんかカッコイイだけの男で、ひょっとしたら終わっていたかもわかんない… それ以上膨らまなくてね。ま、会えたことによって、僕の中では、全然違う面が、「ああ馬を連れて行くって、こういうことがあるから、そんな島に、足手まといになる、まして馬だって死ぬ可能性が非常に高いわけですね。そこに馬を連れて行きたいって思えるんだな」とかいろんなことがね…。 それで、ある種、なんかこう、人種の壁を超えてすごくグローバルに物事を考えることができる人だったんじゃないかなって思いましたね。そりゃ、まあ生き物っていうふうにとらえると、人間も動物も、傷ついてる人間、たとえアメリカ人であろうと助けなければいけない、助けるのが当たり前なんだとかいう考え。でも、そのアメリカ人と戦ってる、すごく複雑な気持ち…。
 
Q:乗馬のシーンもすごく、見事だったんですけど…
伊原:いえいえいえ
Q:あれは、役が決まってから、練習されたのでしょうか?
伊原:僕はもともとやってたんで、乗れたんですけど、今回、ジャンプはやったことなかったんで、障害を練習して、たまたま僕が行ってる所で、謙さんの馬がいて…
渡辺:じゃなくて、俺の先生のところに
伊原:ハハハハハハハハハ
渡辺:ハッハッハッハッハッ
伊原:(笑いながら)そこに行って謙さんの馬がその、ジャンプを非常によくできる馬だったので、わりとよく
渡辺:貸してやりました(笑)
伊原:乗せていただいて、毎日、「ケーン、行くぞ〜」って言って、呼び捨てにしてました。
Q:馬の名前が?
伊原:「ケン・ジュニア」って言うんで、だからみんなに「ケン、ケン」「ダメだな、ケーン」とか言いながら。
あんまり言うと、そこの師匠に、「そんなこというとアメリカまで声届いちゃうよ」って言われながら…

■西竹一(にし たけいち)中佐
ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリストとして名を刻む。西徳二郎男爵の三男として生まれ、バロン西(Baron→男爵)と呼ばれる。







 
 
■作品について―――
Q:2作品とも、勝ち負けとか、戦争の是非とか以前の、人間としての描いていたと思うんですけれど、その兵士たちの気持ちというものが、脚本がそれぞれ違っていたこともあると思いますが、すごい日本人としての気持ちみたいなのが出ていたと思います。アイリス・ヤマシタさんという方は?
伊原:日本人…
渡辺:ロス生まれの日系の方でした。二世かな…。
 
Q:脚本については?
渡辺:やっぱり、あのアメリカ側が調べた資料っていうのは、翻訳されてるものだったりとか、米軍が戦後、聞き取り調査をしたりとかして得た情報がほとんどだったんですね。で、その中で僕の栗林という役だけで言うと、非常にこう、猛将というか侍的な書かれ方をしているものが多くてですね、逆に、僕が感じた栗林像、日本に残っている資料とかを読むと、もっと多面的というか、人間的な部分がたくさんあった人で、あの、単純に侍的なことだけ、家庭においてだけ家庭的だけじゃない、部下においても、戦場においても非常に多面的な部分を持ってる人だって僕は理解してたので、それは、そのアイリスとクリントの方に13コくらいエピソードを抜き出して、非常に面白いエピソードだと思えるものを抜き出して、渡したんですね。こんなふうに栗林像というものをイメージしてるし、こういう人だったんじゃないかなってことで、
あと他の日本人像に関しても、わりと、なんていうのかな、戦略面とか、そういうものも結構突っ込んでいろいろ話をさせていただいたので、あの、かなりある意味変わってきたよね、最初の台本と…
伊原:ハイ
 
Q:二宮さん、加瀬さんの若い兵士のお二人は、伊原さんから見ていかがでしたか?
渡辺:あんまりからんでいないんだよね。

伊原:彼らがちょこっと僕の部隊に来る、で、僕がやるアメリカ兵を助けたり、それを見てるっていうだけで、直接からむっていうのはないんですよ。
 
Q:いろんな年齢の、いろんな階級の兵士たちがそこで戦ってたんだなーっていうのは伝わってきましたが
伊原:そうですね、ほんとは戦場に個性っていうものがあったっていうことですね。なんかわりと日本の軍人はこんなもんみたいなふうに決められてるから、ほんとに逃げたしたい奴もいれば、ほんとに純粋に戦っている奴もいるし…

渡辺:あと、硫黄島自体が寄り集めの特殊な部隊だったんですよね。あの〜急に足りなくなって召集をうけたりですとか、大陸の方から呼ばれたりとか、西もそうなんですけど、そういう意味でのものすごく寄せ集めの部隊だったので、訓練も行き届かなかったりとか、いろんなことを抱えながら、この島を守るんだっていうふうになっていった…と思うんですね。
で、やっぱり先ほど話したみたいに、僕たちですらっていうか、僕たちがまず理解するのが困難な精神だったり状況だったりしたんで、そのへんは二宮、加瀬の二人とはすごくよく話をしましたね。今のヒューマニズムだけで想像すると、少し軽くなりすぎてしまうんじゃないか、もっともっと死生観だったりとか、戦争というものに対しての意味づけみたいなもの、きっともっと深く、強く持っていたんじゃないかなっていうのは、彼らとよく話をしました。
 
Q:手紙を書いてらっしゃるシーンだったり、朗読されてるシーンだったり、手紙っていうのがキーワードだと思いますが、 昨日も舞台挨拶で観ている方に手紙を渡したいっておっしゃっていました。そのへんをもう一度お話いただきたいです。
渡辺:そうですね。やっぱりそこのモチーフが――関係じゃないですか…手紙って…。つながっているための、道具ですから。
わりと端的にこのちょっとしたエピソードでいうならば、栗林が上陸前に、自分の荷物を整理してる時に、奥さんの手紙を読むんですけど、あれ、ホントはないんですけど。
 
Q:そうなんですか?
渡辺:硫黄島に送られてきた手紙なんて、全部処理されてしまっているんです。だから現存してないんですけど、『散るぞ悲しき』という栗林さんのことがすごく良く書けている本を書いてくださった作家の方に、撮影前から何回かお会いして話しを聞いたり、メールのやりとりをしていたんで、一番奥様の気持ちを理解…その方も奥様と会ってお話を聞いたりしていましたので、あの方だったらこんな文章を書くんじゃないかということを推察して書いていただいたんですよ。
それは、なんでかというと、こっちから出している手紙だけだと、どうしても一方通行になってしまう、だからやっぱり、向こうの気持ちをどう、受けとめていたのか、どういうふうに感じていたのかっていうのを、ちょっと表現したくて、クリントにお願いをして、相互通行に手紙がならないかってことで、奥様の手紙を追加してもらったんですけど。
やっぱり、なんていうのかな〜時間差があるし、でも、ものすごく伝えたいことをダイレクトに伝えられるし、で、やっぱりあの文章の、行間にあるもの、裏側にある複雑な思いや辛さや悲しみや切なさみたいなものまでね、僕らはできれば、画面の中に織り込みたかったんですよ。
それを含めて、僕たち全体、この映画を作った人間たちが、1通の手紙を硫黄島から送られてきた手紙を一生懸命ひも解いて、封を開けて、中をくみ取ろうとした結果がこの映画だと僕は思っているんで、それを今度はお客様に僕たちが手渡して、封を開けていただいて、僕たちが一生懸命読み取ろうとしたものを、もう一度読み返してもらえたらなーって感じですよね…。
 





















 
 
 

「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」―――――
Q:「父親たちの星条旗」を観ましたが、両方の側面から撮られた監督の想いは、撮影中にも伝わってきましたか?
渡辺:撮ってる時にはね、僕らもこの役であったり、この話を中心にしてました。だから、むこうの話の内容も知ってましたし、でも見れなかったんですよね、もう、だいぶラフカットまではあがってたんですけど、やっぱり見てしまったら、ねえ、ホントは見なくていいこと…見てはいけないものを見てしまうみたいなものがありましたから、逆にその違うタイプ、違うアングルのものに対しては、そんな意識はしなかったですね。
した?
伊原:いや…

渡辺:しないでしょう…。

伊原:ええ

渡辺:だから終わってみて、両作品を見比べてみると、ああ、なるほど。そういうふうに、このアングルの意味はあったのかとか、その絵のリンクする、両方の映画としてリンクする絵っていうのは、こういうことなのかっていうのは思いましたけどね。
 
Q:2部作であることも含めて、どんなところを見てもらいたいか、また、この映画をとおして伝えたい思いをお話いただけますか。
伊原:そうですね。僕は命の大切さ…今、自分で生きようと思うと、生きることができる世の中で、自ら命を絶つ人がいるわけじゃないですか…。でも、この当時は自分が生きたいと思っても、生きられなくて、むしろ絶ちたくないと思っていても、絶たざるをえない状況だったんですよね。だから、ほんとに命の尊さっていうものをこの映画で感じとってもらえればうれしいです。

渡辺:うーん。僕はものすごく日本映画だと思うんですよ。日本の歴史だし、日本人の俳優たちが演っているわけで、ただ、これは、やっぱりクリント・イーストウッドが、アメリカ人が、撮りたいと思って、アメリカ人のクルーと一緒に協力し合って撮ったことにこそ、ものすごく大きな意義があったと、僕は思うんですね。
やっぱり、人を理解しない、人を認めない…そういうことが戦争を始めるきっかけであるわけで、ほんとに、それぞれの国の気持ちや、人間の気持ちや、歴史っていうものを理解しようと努力をして、わからなくてもいいと思うんですよ。理解しようと努力をして、お互いを認め合って、そういう中で、こう、それぞれの気持ちをこうやって映画にしていくっていうのが、ものすごくこの映画だけじゃなくて、こういうことが、ほんとの他者を理解することや、認め合うことにつながっていくんだろうなと。
だから、僕、ほんとに硫黄島に行ってね、スタッフと一緒に写真を撮った時に、星条旗を僕に渡されて、日章旗を持って、写真を撮った時に、ほんとにこういうことこそ、この映画が語りかけている「お互いちゃんと理解しようよ」っていうことなんじゃないかなーって気がしたんですよ。
あの〜、まあたくさん見どころはあると思うんですね、それぞれの兵士のまなざしっていうか、いろんものを受けとめられないとか、受けとめざるを得ないとか、そういう時のまなざしであったりとか、そういうものはきちんとお客様に届いていくんじゃないかなって思うし、そういうものの最後には、さっき話したような、お互いちゃんと理解しようよっていうそういうことが、きっと届くんじゃないかなって思います。
 
Q:ありがとうございました。
渡辺・伊原:ありがとうございました。











 
 
 
 

【プロフィール】
渡辺謙/[栗林忠道中将]
1959年、新潟県出身。
上京後、劇団“円”に参加し、研究生ながら蜷川幸雄演出の舞台「下谷万年町物語」で主役に抜擢され注目を集める。82年にはドラマ「未知なる反乱」(TBS)でTVデビューを飾り、87年にはNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で不動の人気を確立した。映画では「瀬戸内少年野球団」(84)でデビューを果たした後「タンポポ」(85)、「海と毒薬」(86)、「幕末純情伝」(91)、「絆 −きずな−」(98)、「スペーストラベラーズ」(00)、「溺れる魚」(01)、「陽はまた昇る」(02)、「T.R.Y.」(03)、「新・仁義なき戦い/謀殺」(03)、「北の零年」(05)などに出演。
トム・クルーズと共演した「ラスト サムライ」(03)で、第10回俳優組合賞、第61回ゴールデングローブ賞、第76回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。その後も「バットマン ビギンズ」(05)「SAYURI」(05)とハリウッド大作に出演を続け、今回ついに、クリント・イーストウッド監督による「硫黄島」2部作のうち、日本側の視点から描いた本作「硫黄島からの手紙」で主人公、栗林忠道という大役を演じ、名実共に日本を代表する俳優のひとりとなっている。
また、今年5月に公開され大ヒットとなった「明日の記憶」では主演のみでなくエグゼクティブ・プロデューサーを務める。
伊原剛志/[バロン西]
1963年、大阪府出身
82年にJAC(ジャパンアクションクラブ)に入団。翌年には舞台「真夜中のパーティ」でデビューを果たしている。その後96年に放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」で人気を集める。
主な映画出演作には「バカヤロー! 私怒ってます」(88)、「四姉妹物語」(95)、「あぶない刑事リターンズ」(96)、「ヒロイン! なにわボンバーズ」(98)、クリックシネマ「好き」(00)、「みんなのいえ」(01)、「半落ち」(04)「ヒナゴン」(05)などがある。
TVでは「金曜日の恋人たちへ」(TBS)、「九龍で会いましょう」(EX)、「こちら本池上署」(TBS)、「新撰組!」(NHK)、「ラストクリスマス」(CX)、「曲がり角の彼女」(KTV)、「幸せになりたい!」(TBS)、DRAMA COMPLEX「終戦60周年スペシャルドラマ・火垂るの墓」(NTV)など多数の作品にレギュラー出演を果たした。さらに、93年以降はコンスタントに舞台にも出演しており宮本亜門、三谷幸喜、野田秀樹、山田和也と、錚々たる演出家の人気舞台に立っている。
来春には、本作でも共演した加瀬亮も出演する、黒沢清監督作「叫」が控えている。
 
 
  「父親たちの星条旗」は絶賛上映中!
「硫黄島からの手紙」は12月9日(土)より全国ロードショー公開です!


これまで、いろいろな方々のインタビューをさせていただきましたが、お二人の映画に対する姿勢や思い入れみたいなものは、今までお会いした方とはまるで違っていました。インタビュー中も言葉を選んで、真摯な態度で答えてくださって、たいへん恐れ多い気がいたしました。
この「硫黄島からの手紙」に出会えたことは、お二人にとって運命的なことだったのかもしれません。特に、謙さんは、栗林中将という人が、アメリカを知りつつ、アメリカと戦ったという点で、謙さんの今の環境に近く、いろんな面で力を発揮できた役だった気がいたします。
公平かつ冷静な視点で描かれた、硫黄島二部作。ぜひ2作品ともご覧になっていただきたいと思います。


もう、そこに立っていらっしゃるってだけでオーラが…
ものすごく存在感があって、カッコイイお二人でした。

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